2016年5月14日土曜日

珍説、もとい、新説・時間はオートリバースであるという仮説

過去にツイッターでも書いたが、私は
「時間はカセットテープのオートリバースの状態で
延々と再生と逆再生を繰り返している」
「しかも"今"は逆再生の最中である」と思っている。

オートリバースとはA面→B面→A面→B面...の再生。
私の言う「時間はオートリバース」というのはこれとは少し違う。

私の言うオートリバースは
順送り再生と、逆送り再生を繰り返すという意味だ。
リピート再生とも違う。適切な表現が無い。

だから便宜上オートリバースと呼んでいる。

私は子供の頃、宇宙に関する本を読んだ。
その中でビッグバンに関して3つの仮説が書かれていた。

(1)このまま宇宙は膨張を続ける。

その結果どんどん真空に近づく。

(2)このまま宇宙は膨張を続ける。

しかし新しい星や銀河が生まれるので密度はあまり変わらない。

(3)宇宙は膨張と収縮を繰り返す。

この(3)の仮説が今の私の考えに近い。

しかし、宇宙が膨張収縮を繰り返すのはまだ理解しやすい。
呼吸のように吸って、吐いてを繰り返す。
広がって、縮んで、広がって、縮んで...

しかし、時間の流れが順送りと逆送りを繰り返すのは
随分と珍説に聞こえないだろうか?
ましてや、今現在、私らの生きているこの時間の流れが
絶賛逆送り中だというのは無茶苦茶な話のようにも思える。

例えばヒヨコが成長してニワトリになって
日々エサを食って、タマゴを産み、やがては死ぬ。
これが自然な流れだと私らは認識をしている。

しかし今現在の時間の流れが「逆再生中」であるなら
これが真逆だという話になる。

ニワトリの死体がむくむく起き上がっ歩き出す。
しかも後ろ向きに歩き出す。
そしてウンコやタマゴをケツから吸い上げて、
口からはエサを吐き戻す。
毎日毎日そんな奇行を繰り返すうちに
ニワトリはどんどん小型化していきついにはヒヨコになる。

しかもタマゴの中に入っていって親鳥のケツに吸い上げられる。
 

これが本来の正しい流れ、あるべき姿だという主張だ。
随分とメチャクチャに聞こえるが、
これが「メチャクチャである」と認識する
その視覚、その思考、その発想、それら全てが

「逆」なんだとしたら?・・・そういう問題提起である。
しかも、この珍妙な奇妙奇天烈な流れこそが
「本来の姿」であり、「あるべき姿」だという主張である。

いや、もしくは逆か。

今現在、現実世界におけるニワトリは実は
「ケツからタマゴを吸い上げて口からエサを吐き戻している」

真っ最中だとも言える。
私達の「認識能力」までが逆回しなせいで

そうは見えていないだけという可能性だ。

そんな可能性が想定できる根拠のひとつは
「夢の世界では時間の流れが逆転している」という事だ。
勿論、これは夢の中で
「ニワトリがケツからタマゴを吸い上げて口からエサを吐き戻す」
という意味ではない。

私は別にニワトリの夢を見た覚えはないが
仮に見たとすれば、やはり「ニワトリはエサを食って、

タマゴを産む」はずだ。

(実は最近文鳥の夢を見た。

手乗り文鳥が私の手の上でフンをした夢w
で、フト気付くといつの間にか

そのフンが輪切りのキュウリになっていた。
しかも文鳥がそのキュウリを自分の肛門に

押し戻そうとしている夢。
これが何の夢かわかるかな?

実はひとつの予知夢になっている。
私のツイッターアカウントを長くフォローしている人なら
あ、いや、アカウント削除したから、フォローしていた人なら
ひょっとしたら分かるかも。閑話休題)

厳密に言うならば、夢の中の世界は
「ニワトリがケツからタマゴを吸い上げて口からエサを吐き戻す」
(若しくはそう見える)世界なのだが
その世界を認識する私達の思考が「逆再生モード」なせいで
「ニワトリはエサを食って、タマゴを産む」ように見える

と言うべきか。

しかし真実・答えがどっちであったとしても
結局「ニワトリはエサを食って、タマゴを産む」
ようにしか見えない・認識できないという事になる。
それが認識上の問題なのか、本当にそうなのかは
ニャンゲンごときには分からない。
夢が順送りの世界であろうが、逆送りの世界であろうが
知った事ではない。
「ニワトリがケツからタマゴを吸い上げて口からエサを吐き戻す」
そんなのキモイから無視すればいいではないか。

・・・と言いたくなるのだが、実はそうは問屋が卸さない。
ある瞬間に

「やっぱり夢の中では、現実世界と時間の流れが逆転している」
と確認・認識ができる。
できないはずの認識ができてしまう瞬間があるという事だ。

フロイトの著書では夢について色々書いてある。
私が持っているのは新潮文庫の「夢判断(上)」

平成5年 49刷版だが、このp41〜p42に
紹介されている夢の例を多少ダイジェストして引用したい。

春の野原を散歩して隣り村まで歩いて行った。
隣り村の人は賛美歌集を持って教会に集うところだった。
そうだ、今日は日曜日だ。私も礼拝に参加しよう。
しかし体が火照っていたので少し涼もうと思った。
だから教会の隣の墓地で墓石の銘を見ていた。
すると教会の人が鐘楼を登る足音が聞こえた。
礼拝の合図をする鐘だ。
やがて鐘が鳴り出した。その音は非常に冴えていた。
そのせいで目が覚めてしまった。あ、夢か。あ、目覚ましね。


似たような経験は私自身もしているし、

読者諸氏も経験があるだろう。
別に教会の鐘ではなかったとしても、何か夢の中で音がして
「うるさいなあ」と思ったら目覚まし時計の音だったという経験だ。

ほらね、これって時間の流れが逆転してるでしょ?
なぜ?どこで?というと、これがストーリーだからである。
起承転結だからである。だから時間の流れが逆転したと分かる。

夢の中には順番が論理的で

整合性のあるストーリー展開の夢もある。
逆にデタラメな流れの夢もある。例えば先程書いた私の夢。
「文鳥のウンコがいつの間にかキュウリの輪切りに変わっていた」
というのは整合性が無い。論理的な夢ではない。

しかし夢の中には論理的なもの、

順序立てて話が展開するものもある。
「1」の次は「2」、「2」の次は「3」、「3」の次は「4」という夢だ。
「1」の次にいきなり「1兆」が来て、その次が「安倍晋三」とか
そういう非合理的な夢とは対立する概念だ。
そういう夢を「起承転結」のある夢と今、呼んでいる。
そして、そういう起承転結のある夢に現実世界が介入する瞬間に
「ああ、夢の世界と現実世界では

時間の流れが逆転しているなあ」と確認ができる。

少し具体的に書いてみる。

=プー閣下がオバマ君と殴り合いをしていました。
=ローマ法王が二人の喧嘩に割って入って言いました。
 「私が魅力的すぎるからって喧嘩はよくないわ。
 それに私、オバマ君ともうデキちゃってるの。」
=プー閣下は「テメー自分の顔、鏡で見たことあるのか?」

 と言って ローマ法王を殴り飛ばしました。
=ローマ法王はぶっ飛んで行って、バカチンの教会の鐘に

 頭をぶつけました。 ゴーン、ゴーンと鐘が鳴り響きました。
 「うるさいなあ、まったく」 ・・・と思った所で目が覚めました。
 「あ、うるさいと思ったら目覚ましか」

ほらね? 時間の流れが逆転したでしょ?
何何?どこで逆転したのかわかりません、ですと?

あのねえ、そりゃ、始めから逆転してるに決まってるでしょうが。
そうでなくては「夢の世界では、

現実世界と逆方向に時間が流れている」
という事にはならない。
夢の開始時点では現実世界と流れが同じで、
ある特定ポイントで逆転しているわけではない。
逆と言ったら逆だ。
だからそれはストーリー開始の時点で既に逆。

もし仮に「夢の世界も現実の世界も、時間の流れは同じである」
と仮定をすると矛盾点が出てくる。

目覚まし時計を寝る前にセットしたのだからベルが鳴るのはいい。
しかし、なぜ、都合よく

夢の世界にも「うるさい音」が登場するのか?

ここ(↑) ここ大事。大事な事なのでもう一度。
整合性のある夢、合理的な夢を見ている最中に
「あまりにも都合よく」うるさい音が登場するのは非合理的である。
目覚まし時計は私がどういう夢を見ていようがお構いなしに
時間が来ればベルを鳴らすに違いない。
私も寝ている間は今現在何時何分か知った事ではない。
だから夢を見るにしても目覚まし時計がどの時点で介入するか

知った事ではない。

それなのに「起承転結」の流れが
「結」の段階で「うるさい音」が登場してもいいような
まるで「結」を始めから知っていたかのような、
矛盾の無いストーリー展開になるのはどういう事?
矛盾が無いという矛盾・・・を指摘している。

あまりに話の展開の都合が良すぎるのだ。
始めから「結」がどうなるのか見越しての展開だから

デキスギなのだ。
もし今が何時何分か分かっていて、

目覚ましが何時何分に鳴るのかも覚えていて
その時間に合わせて都合のよい夢を見ることができるのなら
そもそも目覚まし時計なんかいらないはずだ。

時間が分からない。

まして目覚まし時計なんか存在すら忘れてしまっている
その前提で考えるなら、

次のような起承転結になるのが自然ではないのか?

=プー閣下に悪の枢軸がジェットストリームアタックを

 しかけてきました。
=先頭のオバマにプー閣下必殺の左ミドルが炸裂しました。
=二番手のネタニヤフに

 プー閣下必殺の右アッパーが炸裂しました。
=三番手の安倍晋三にプー閣下必殺の
・・・
 ・・・え?何?なんかめっちゃうるさい。
 何何? いきなり何ですか? これは何の音ですか?
 ・・・ハッそうか。目覚ましだ。あー、時間だ。起きなきゃ。

(一例として)こういう流れでなくては不自然である。
「なんかいきなり」「なぜか突然」「唐突に」
うるさい音が聞こえてくるというのでなくては不自然である。
起承転結の中に脈絡なく、

目覚ましが割り込んでくる展開でないとおかしい。
目覚ましの登場に関しては整合性がない事こそが整合性だ。

フロイトの紹介した夢の例だと
目覚まし時計の音が教会の鐘に聞こえるのは別にどうでもいい。
だけど、隣り村まで歩いて、教会に到着して、
あ、そうだ今日は日曜だから礼拝に参加しようと思って
ちょっと休憩と思ってたら鐘楼に人が登っていて
ああ、礼拝開始の合図かと思ったらその音がやたらうるさくて・・・

おい、これ始めからストーリーが「教会の鐘」という
ゴールを目指して進んでるじゃねえかっていうツッコミ。
なぜ始めから音を鳴らす気マンマンで

ストーリー展開しちゃってるの?というツッコミだ。

整合性のある流れ、合理的な夢の中で音が聞こえてくるなら
始めから音が聞こえる事を想定して、前提として、

脚本が存在したのか?というツッコミだ。

では、ここで時間軸を逆にして考えてみる。
「起承転結」ではなく「結転承起」で考えてみる。
オチをスタート地点として考えてみる。


このうるさい音は何ですか?
これはバカチンの教会の鐘の音です。
なぜ、バカチンの教会の鐘がうるさいんですか?

それはローマ法王がぶっ飛んでいって頭を打ち付けたからです。
なぜローマ法王はぶっ飛んで行ったのですか?

それはプー閣下が殴り飛ばしたからです。
なぜプー閣下はローマ法王を殴り飛ばしたのですか?

それはローマ法王がキモイ事を言い出したからです。
なぜローマ法王はキモイ事を言い出したのですか?

それはローマ法王が喧嘩を止めたかったのです。
なぜローマ法王は喧嘩を止めたかったのですか?

それはプー閣下とオバマ君が殴り合いをしていて、
法王とお尻合いのオバマ君が殴り殺されそうだったからです。

ほらね。むしろ「結」の部分から考えた方が自然。
「音」ありきでストーリーを考えた方が自然。
都合のよすぎる箇所、非合理な合理性が無くなる。

よって夢の中では時間軸が逆に流れているという

仮説が登場した。
それを私達は夢とは逆の時間軸で認識・知覚・解釈している。
だから「通常モード・現実世界モード」のように

見えてしまうという仮説だ。

目覚まし時計の音が鳴ってから

そういうストーリーを展開させたのか?
普通に再生したら何十秒もかかる夢の場合だってあるのでは?
何十秒もの間、実は目覚まし時計は鳴りっぱなしだったのか?
そこまで長い夢を見ている間に目が覚めるのではないか?
・・・というのは別にどうでもいい。
時間は伸び縮みをする。少なくとも体感的には伸び縮みをする。

例えば交通事故に遭った時に

周りがスローモーションで見える経験。
実体験をした人は少数でも、話としてはよく聞くだろう。
極度の集中状態では通常の何倍もの処理速度で脳が働く。
だから通常再生での認識では何十秒の夢でも
集中状態ではほんの2、3秒だとしても別に不思議ではない。
或いは、本当に目覚ましが鳴り始めてから何十秒夢を見て
そこで初めて目覚めたという事もあるかもしれない。

では仮にそうだとしても夢の中こそが「順送り」で
現実世界が「逆送り」だという根拠は何か?
むしろ現実世界が「順送り」で
夢の中が「逆送り」だったりはしないのか?

これには根拠となるものがいくつかある。
ひとつは聖書。「聖書の中では過去と未来が逆転している」

マイケル=ドロズニンの「聖書の予言」を読んでいたら
この話題が紹介されていた。

だから時間軸に囚われない視点、時間を超越した視点だと
(それがカミサマかどうかはどうでもいい)
今の現実世界の流れは「逆再生」に見えるのでは?
という事になる。

(「聖書の予言」そのものはパチモン、トンデモ系なので注意。
また、ヘブライ語は時制が日本語や英語とはかなり違うので
単純に「過去」「現在」「未来」というのとは違う。)

他にも「リバース・スピーチ」水守啓著 学研 2013年刊

という本がある。
この本の中に人が喋る声を録音し、逆再生すると
「本音」や「隠されたメッセージ」が聞こえるという内容が出てくる。
やはりこれは「逆」こそが「本流」「正統」だからではないのか?
また赤ちゃんの喃語も

(1歳児等がアウアウと意味不明な発音をするアレ)
逆再生すると「普通の」コトバとして聞き取れる事があるという。
つまり、この本の主張によると、
元々人間はリバーススピーチ、逆再生での喋りを学習し
次にそれを「リバースのリバース」
つまり一般人の考える「普通」の喋りに矯正している事になる。

他にもよく、音楽のレコードやCD等を逆再生すると
サブリミナルメッセージが見つかるという話題も
読者諸氏は聞いた事があるのではないか?
例えばビートルズ。或いはきゃりーぱみゅぱみゅ。
youtubeにもそれ関係の動画はよく上がっている。
「きゃりーぱみゅぱみゅ 逆再生」で

google検索すればドカドカ出てくる。
これもやはり、人間は元々「リバーススピーチ」こそが

本来の流れなので
だからこそサブリミナルメッセージに反応するのではないか?
(私達が、サブリミナルメッセージに

どの程度反応しているかは別として)

或いは旧約聖書の創世記。天地創造の時に
「夕となり、また朝となった。第○日である」

と1日ごとに書いてある。
これも間接的にはオートリバース説の証拠である。
そもそもユダヤ教では日没が一日の始まりである。
だから「夕となり、朝となった」とまず「夕方」を先に持ってくる。


まあ、我々の一般の基準でも一日の始まりは0時=夜中だ。
始まりの基準点が妙な位置なのはお互い様かと思っていた。
しかしよく調べたらおかしい。明らかにおかしい。
ヘブライ語で「一日」は「ヨム」と言う。
この「ヨム」は「一日」という意味の他に「日中」という意味も持つ。
まず夕方から一日が始まった。そして朝になった。
夕方から朝までは、どう考えても「夜」だ。
それなのに、それが「ヨム」=日中なのか?
私は最初、自分が日中という訳語に囚われすぎなのかと思った。

=太陽が出ている固定観念に縛られているのかと思った。
しかしBHSの創世記1章5節を見るとそういう問題ではない。
原文は以下。
וַיִּקְרָ֨א אֱלֹהִ֤ים לָאוֹר֙ י֔וֹם
ゔぁいくらー えろひーむ らおうる よむ
 

「おうる」とは「アインソフオウル」の「おうる」つまり光。
よってここで 「オウル(光)をヨム(日)と名付けた」と書いてある。
その光=ヨムが夕方に始まるというミラコー。

夕方から始まるのはどう考えても夜=闇だ。

この矛盾を解決するのはオートリバース説だ。

ニワトリがケツからウンコを吸い上げて口からエサを吐く世界では
太陽は西から昇って東に沈むに違いない。

また、BHSのでは天地創造に関しては毎日

「夕となり朝となった」と書いてある。
「夕」はヘブライ語でエレヴ → ‎ערב
このエレヴ(夕方)がヘブライ語の「西」に似ている。

ヘブライ語で「西」は → מערב
 

4文字中3文字が一致。くさい。
ヘブライ語には「語根」がある。
そのため似ている言葉は関連語、派生語の事がよくある。
たとえばアダマー(土)から作ったからアダムとか。
イシュ(男)から作ったからイシャー(女)とか。
日本語で読んでたのではイマイチ、ピンとこないものも
ヘブライ語で読むと納得できる事がある。
日本風に言えば「桃から生まれた桃太郎」みたいなもの?
だから西と夕方も関連があったり、元は同じ単語の可能性がある。


つまり、これは「夕となり朝となった」が
もしかして 「(太陽が)西から東へ移動した」と
翻訳できる!・・・のかもしれない。 オートリバース乙
まあ、この説は「朝」と「東」が似てないので

結構胡散臭いのだが・・・だめじゃんw

他にもこれ→リンク
コルトーナ(Cortona)教区美術館のテンペラの板絵
「受胎告知」(Annunciazione)だった。
15世紀のドメニコ会厳格派の修道士であり画家であった
Beato Angelico フラ・アンジェリコ、
俗名、グイド・デイ・ピエトロの1433年頃描いたと宗教画である。
回廊に座って聖書を読んでいたマリアのもとに
大天使ガブリエルが舞い降り救世主キリストの受胎を告知する。
ラテン語で

「聖霊が汝に臨み、いと高き者の力が汝を覆うであろう」
と上下二行に分けて書かれ、マリアの返答
「私は主のはしため。お言葉通りこの身になりますように」が
その間になんと上下逆様に記されている。
天使の言葉は順方向で書き、
マリアの言葉は逆に書いたのはなぜだろうか。
それは天上の神に読まれるためという事である。
人の言葉は天から見れば逆になるらしい。

ほらね。天使とは何者なのか、処女懐胎が本当なのか
そんな事はどうでもいい。
アッチの世界からコッチの世界を見ると逆に見えるのだ。

このリンク先は太陽=エル=AR は逆にするとRA=ラー
月=ミューア=MUA は逆にするとAUM=オーム

等なかなか面白い。

と、いう事で時間の流れは、「逆送り」こそが「順送り」であり
しかも夢の中では今でも「本来の」「正統な」流れが
続いているという事になった。(いや、まだ仮説ではあるが)

では、順送りと逆送りがあったとして
しかも、現実世界が今現在、絶賛リバース中であるとするのなら
「あれ?どこで逆送りに切り替わったの?」という疑問が出てくる。
あるべき姿、本来の姿がまずあったからこそ、
だからこそ「今」が「逆」なのだ。
つまりどこかに「ターニングポイント」があったのか?
という疑問が出てくる。
すると、この先だってどこかに「ターニングポイント」が
あるかもしれないという事になる。

ここで思い出されるのが太極図だ。

「陰極まれば陽に転じ、陽極まれば陰に転ず」という事。
「順送り極まればリバースに転じ、
リバース極まれば順送りに転ず」という事。
これをひとつの喩えとして「オートリバース」と私は呼んだ。

しかしこう考えると聖書は恐ろしい。
「ターニングポイント」とやらがいつあったのかは知らないが
少なくとも1000年や2000年レベルの最近には無かったはずだ。


いや、もしかしたら私が認識できていないだけで
ひょっとしたら昨日か今日に「ターニングポイント」はあったのか?
何しろ私は時間を超越した存在ではない。
だから時間が逆転すれば同時に私の体感も認識も逆転する。

・・・多分。
だから時間が逆転しようが何ひとつ違和感は感じないはずだ。
いや、「目覚まし時計の夢」を検証すればいいのか?・・・多分。

しかしだからと言って、時間を超越した存在、

例えばカミサマが聖書を書いたとか、そういう事は無い。
聖書はあまりにもパクリや捏造が多すぎる。
仮に時間を超越したカミサマとやらがいたとすれば
カミサマが書いたのは聖書の「パクリ元」の方だろう。

しかし、そのパクリ元の著者は恐ろしいニャンゲンだ。
時間を超越した視点を持てるとは一体何者だろうか?
暁美ほむらか何かだろうか?

いや、実はこういう超越的視点というのは
意識していれば時々見つかる。
例えば英語で10月はオクトーバー。これもおかしい話だ。
オクトは8を意味するからだ。例えばオクトパスやオクターブ。

これはフランス語の勉強をしている時に
NHKのラジオ講座でレナ=ジュンタが言っていたのだが

(2012年1月17日放送 44課)
「この2ヶ月のズレ」は元々
「名無しの月が2ヶ月あった事に由来する」そうだ。

これを聞いた時私は恐ろしくてゾッとした。
常識で考えればいい。ある程度文明・文化が発達して
カレンダーなり暦なり作るようになるからこそ
だからこそ、月の名前が決まるはずだ。
それなのに、なぜわざわざ名前を付けない月を残す?
しかも2ヶ月も残すのはなぜだ?
会話しにくくてしょうがないじゃないか。
もしその当時の社会全体がその日暮らしの無計画な社会で
来月や再来月なんて話題にすら出ないのなら
そもそも暦自体作らないはずだ。

作るのならちゃんと作れ。この手抜きは何だ?私の仮説はズバリ、
「名無しの二ヶ月は名前が存在しなかったのではない。
名無しの二ヶ月は月そのものが存在しなかった。」←これ。

名前は対象が存在しなければ無くても構わない。
例えば11月はノベンバー、12月はディセンバー、では13月は?
ほらね。存在しないものには名前がなくていい。

これがどれぐらい恐ろしい話か分かるだろうか?
私の主張が正しければ「元々1年は10ヶ月だった」

という事になる。その方がキリ番だとも言える。
ところが、何かの拍子に1年が12ヶ月になってしまった。
ズバリ、地球の公転周期が大幅に変わった。
恐らくは以前よりも公転の軌道が大回りになったか
もしくは速度が以前よりも2割近く低下した。
もしかしたら両方かも?
いや、そこまでのインパクトがあれば

自転だって狂ったかもしれない。

2004年12月26日のスマトラ大地震で地球の自転速度が

100万分の2.68秒縮んだという話がある。→リンク

マグニチュード9の地震でやっと37万分の1秒だ。
自転が狂うのと公転が狂うのは恐らく全然計算が違うと思うが
2ヶ月のズレというのがどれだけ恐ろしいか少しは分かる。
阿鼻叫喚の地獄絵図だったに違いない。
サードインパクトクラスの天変地異だったのではないか。
さすがに一発でまとめてキちゃうと地球がもたない可能性がある。
それこそ地球が砕け散るかもしれない。
だから何度も何度も、何年か何十年か知らないが
その地獄だかサードインパクトが延々と続いたのではないか?


恐ろしい事に「カレンダーに二ヶ月名無しの月」があるのなら
サードインパクト以前に人類は

少なくともカレンダー発明レベルまでは
文明・文化を発展させていたはずだ。
例えば「暦の必要性」という所から考えて

農業ぐらいはやっていたはずだ。
つまり、このサードインパクトを実体験したニャンゲンがいた。
勿論サードインパクトで死んだニャンゲンも大量にいるはずだ。
しかし「カレンダーに二ヶ月名無しの月」があるという

所から考えて生き残ったニャンゲンもいたはずだ。

そいつは暁美ほむらか? 旧劇場版のシンジ君とアスカか?

地球の火山か地震にそこまでのエネルギーがあるのか?
そこまで爆発的なエネルギーがあるなら
なぜ人類は文化・文明をある程度発展させたりできたのか?
地球がそこまで危なっかしい星なら人類なんか

文明発展以前に絶滅しないのか?というと・・・
実はこれ、地球のエネルギーによるものではありません。
宇宙からの攻撃。

と言ってもエイリアンではない。

・・・一体何を言ってるんだ?と思った人は
イマヌエル=ヴェリコフスキーの「衝突する宇宙」を読むといい。
法政大学出版局 1951年初版刊。 2006年改装版刊。
(あー、アフィリエイト登録したかったなあ。

amazonが却下しやがるんだもんなあ。)

最後はお約束のひと言をオナシャス。
「黒幕はキリスト教徒!」
みかん、いや、未完。