2016年7月15日金曜日

knznymmmyのラテン語ペラペラプロジェクト1


BACADEMIA DE LINGVA LATINA ECCLESIASTICA

ラテン語という言語がある。
名前ぐらいは誰でも知っているだろう。

探してみるとラテン語の表現は現代日本にも結構ある。
エトセトラet cetra
紀元後のADanno domini
午前のamante meridiem
午後のpmpost meridiem
推理小説のアリバイalibi
大学のPh.Dphilosophiae doctor
手紙のPSpost scriptum
漫画とかでA対Bのvsversus
ゲームのグラディウスgladius=ラテン語で「剣」
自動車のアルトラテン語で「高い」
自動車のアウディラテン語で「聞く」
自動車のコロナラテン語で「冠」
自動車のミララテン語で「驚くべき」
自動車のセルシオラテン語で「高い(比較級)」
自動車のクレスタラテン語で「トサカ」
自動車のフィアットラテン語で「成るように」
自動車のジェミニラテン語で「双子」
自動車のグロリアラテン語で「栄光」
自動車のイプサムラテン語で「自身の」
自動車のルシーダラテン語で「明るい」
自動車のメルセデスラテン語で「報酬」
自動車のプリウスラテン語で「先頭の」

また墓に書くR.I.P.「安らかに眠れ」はラテン語
requiescat in pace
英語のrest in peaceもちょうどR.I.P.なので
こっちでも間違いではない。しかし元祖はラテン語。


またセブンネットショッピングが
オムニセブンになったのもラテン語系。
「系」というのはセブンはラテン語ではないから。
ラテン語でomnisという形容詞は

英語のeachやeveryに相当する。
文脈次第では「全ての」「あらゆる」と訳できる事もある。
食品でも本でも「何でも」揃う

あのネットショッピングには適切な名前だ。

アカヒ新聞のコラム「天声人語」の由来は
"vox populi vox dei"と言われる。
これは「民の声は神の声」という意味。

魔法少女まどか☆マギカには謎のサブタイトルがあった。
曰く「puella magi madoka magika」

実はこれはラテン語。しかし文法的におかしい。
この点は後日考察する。

という事で、ラテン語は遥か彼方の疎遠な言語のようで
探せば意外と身近に潜んでいる言語だ。
そして聖書の研究をする上でもラテン語はできた方がいい。

聖書の歴史を軽く振り返ってみる。
聖書は元々旧約がヘブライ語で書かれた。
一部はアラム語だが、アラム語とヘブライ語はよく似ている。
新約はコイネー。コイネーはギリシア語の一種。

時系列で書くと
紀元前922年 クソラエルが南北に分裂。
紀元前721年 北のクソラエルがアッシリアに滅ぼされた。
       10部族御一行様行方不明事件勃発(←狂言)
紀元前586年 南のユダが新バビロニアに滅ぼされた。

ぶっちゃけ旧約聖書が書かれ始めたのは
このクソラエル南北朝時代ではないか?と思われる。
一部の伝承(勿論ウソ)では聖書の最初の5書は

モーセが書いたという。
創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記。
だからこれらを、モーセ五書pentatukeという。

当然、聖書に先立って、パクられ元の書物は存在した。
その意味では(パクリ元を含めた意味での)聖書が書かれたのは
モーセよりも更に以前だ。但し、"更に以前"と言っても
神の霊感により天地創造ガーとか
最初の人類アダムとエヴァガーとか全部大嘘。

書かれ始めたというのは、完成したのはもっと後だという意味。
何度も何度も追加、編集、改竄、誤訳、捏造、脚色、アリバイ工作を

繰り返して今日の聖書に至っている。
最悪、旧約聖書の方が新約聖書よりも

後から完成した可能性がある。
旧約がイエスの誕生を予言しているというのは、
単なる後出しジャンケン。
そして「10部族御一行様行方不明事件」(狂言)は勿論
アホンジンも大好きな消えた十部族日ユ同祖論
につながる話題。

クソラエル死亡の結果、ユダ公の一部はエジプトに流入した。
ユダ公はエジプトでヘレニズム化=ギリシア化し
ヘブライ語を忘れ、ギリシア語を使うようになった。
このためギリシア語の聖書が必要になった。
ここで華麗に登場したのが70人訳聖書。
通称セプチュアギンタ 若しくはLXX
(紀元前の話なのでまだ旧約聖書のみ)

しかし考えてみれば不思議な話だ。
エジプトとクソラエルはギリシアからあまり距離が違わない。

いや、微妙にエジプトの方が遠い。特に陸路ならば遠い。
ならばクソラエルからエジプトに行けばギリシアから遠ざかる。
ギリシアから遠ざかった結果ギリシア化しましたという謎w

これは私が散々言ってきた視点で見ればむしろ自然・当然。
古代クソラエルは今のイエメンだ。パレスチナではない。
イエメンからエジプトに行けば?そりゃギリシアに近づく。
ギリシアとエジプトは文化的にもつながりがある。
(↑この話題は、叩けば叩くほどほこりが出る。
例えば"ブラックアテナ")

さて、ローマ帝国が地中海世界を統一した。
しかしパレスチナを含めて、ローマ帝国の東方では
ギリシア語が最大勢力の言語であった。
これがいわゆるコイネー。ギリシア語の亜種。
ソクラテスやプラトン等の古典ギリシアとは少し違う。
多数の民族の共通語として使われた関係上
文法面で多少簡素化されている等々。

このコイネーの勢力圏=パレスチナでキリスト教は発生した。
だから新約聖書も最初はコイネーで書かれた。

参考:ローマ帝国におけるラテン語とコイネーの分布
ソースはこのブログ→リンク

教皇すら初期はコイネーで書簡その他を残している。
やがてキリスト教は勢力を広げローマ帝国の本丸
イタリア半島その他、西方にも広まった。
つまりコイネーの地域を飛び出してラテン語の地域に波及した。
ここでギリシア語だけではなくラテン語での聖書が必要になる。
そこへラテン語訳聖書を引っ提げて聖ヒエロニムス見参!
これこそがウルガタ(ラテン語訳)聖書
新約は383年、旧約は405年に翻訳完成。
ウルガタとはvulgatusというラテン語の形容詞。

私が持っている辞書は
the new college latin-english dictionary 3rd edition
by john c. traupman ph.d bantam books 2007年刊
安い割には英羅と羅英がセットになっていてお買い得。
紙質は新聞紙的な安物臭が漂うがアマゾンでも高評価。
ガチKGBのラテン語辞書オヌヌメナンバーワンだ。
(いや、まあ、他の辞書知らないから
上から数えても下から数えても1番という意味だけどな!!)

さて、この辞書によるとvulgatusは形容詞で

general, well-known
これの女性形がvulgataに他ならない。
(聖書は女性名詞だから形容詞が女性形になる)
私が持っているウルガタの正式なタイトルは
webster-gryson biblia sacra vulgata
editio quinta 2007年刊

ブルガタではない。Uの文字は後から開発された。
元々Vの字が現在のUの役割を果たしていた。
例えばウイルスがvirusなのはこの関係。
いるす」ではない。「いるす」
VがUの役割を果たしていた時代の名残だ。

後から追加された文字はUだけではない。
ラテン語のアルファベット(エレメンタという)を見ると
今の英語のアルファベットと比較して J K U W が無い。
それから小文字も無い。昔は大文字しかなかった。
但しラテン語の歴史も長いのである程度後期の文献・写本には
JやKその他が使われる等、変遷がある。
私の持っているbiblia sacra vulgataは
最古かどうかは知らないが、文法や表記が結構古い。

さて、ブルガタならぬウルガタの意味は
「一般の」という事。ある意味標準語。
当時の一般大衆が日常使っていたラテン語だという事。
翻訳のしようによっては「口語訳」とも言える。
文学的な表現ではないという事。

そもそも紀元前、まだローマが弱小でしかなかった頃
イタリア半島にはギリシアの植民地があった。

さっきの地図をもう一度見るといい。
ギリシアとイタリアは結構近い。
最短部分だとせいぜい50キロ程度。 朝鮮半島と九州より近い。
当然、当時のギリシアは先進国。ローマは後進国。
だから上層階級もギリシア語を話す事を好んでいた。
当時のラテン語は"sermo plebeius"(庶民語)と揶揄された。
下等な言語と考えられていた。
(「教会ラテン語への招き」田淵文男監修 江澤増雄著 p112)

「教会ラテン語事始め」田淵文男監修 江澤増雄著の

p12によると
こういうラテン語よりもギリシア語が格上だとする風潮は
紀元前だけではなく紀元後にも残っていたという。

また、ラテン語内部でも
sermo vulgaris 下層大衆の言葉
sermo urubanus 教養人の言葉
の区別があったようだ。
ウルガタ聖書はsermo vulgarisの系列。
「教会ラテン語事始め」p14

しかしローマ帝国の発展とともにラテン語の地位も向上。
ついには「神の言語(ラテン語)は神聖不可侵」とすら
言い出すバカが続出するまでに至った。
ターニングポイントはもしかしたら3世紀あたりかもしれない。


理由はいくつかある。
まずウルガタが登場したのは4世紀末から5世紀頭。

これはラテン語の地位が向上した後の可能性が高い。
もしも4世紀末や5世紀初頭でもラテン語の地位が低かったのなら
「神聖な神の教えを冒涜した」の何のと
バカチンがヒステリーを起こしたはずだ。
その結果おそらくはウルガタは禁書か何かになっていただろう。

しかし禁書になるどころか、ウルガタはその後長く
聖書のスタンダードとして通用してきた。
ならば、遅くとも4世紀末時点で
ラテン語の地位は向上していたはずだ。

(ちなみに日ユ同祖論関係で話題になる
第4エズラもウルガタには入っているw
私の持っているウルガタにも第4エズラは収録されている)
 
また、「教会ラテン語事始め」p13には
テルトゥリアーヌス(150年?〜230年)という人物が出てくる。

(日本語版wiki 英語版wiki
彼は、最初ギリシア語で著作を書いたが
晩年はラテン語で書くようになったという。

「晩年」が具体的に何年からなのかは書いてはいないが
没年から考えて3世紀の可能性が高い。
(ちなみにその没年も諸説あるようだ)

これもキリスト教徒がラテン語世界=ローマ帝国西半分で
増えてきた事と無関係ではなかろう。

これらの点からラテン語の地位が「ある程度」向上したのは

3世紀あたりが分かれ目ではないのか?と、私は考えた。

聖書といえばウルガタしかありえないという時代が
1000年余り続いた最大の理由は
「神の言葉は神聖にして不可侵なので翻訳とかマジけしからん」

とキリスト教会が主張していた事。
また、アホアホ信者どももそれを本気にしていた事。
ウルガタ自体が翻訳なのにこのアホどもは何を言ってるんだろう?
ウルガタの中にも「アーメン」や「エリエリレマサバクタニ」
のようなヘブライ語が複数出てくる。
アホどもの目にはこれがラテン語に見えるのか?
活用言ってみろよカス。
勿論、当時の出版技術のショボさとか識字率の低さとか
他の理由も無関係ではない。

しかし1000年も経てば言語だって変わる。
例えば日本語だって1000年前の平安時代の言葉と
21世紀の現代語では色々違いが出てきている。
勿論、ラテン語にも各地に方言があった。
ローマ帝国が崩壊・分裂し多くのヨーロッパ諸国に別れる過程で
そういう方言間の差異は広がっていった。
これが今日のフランス語、スペイン語、ポルトガル語、
イタリア語、ルーマニア語あたりにつながる。

では、例えばフランスのカトリック信者は
ラテン語の聖書が読めたのだろうか?

読める人は読めた。しかし読めない人の方が多かった。
これが答え。

例えば昔の高等教育を受けられた人は
著作をラテン語で書いている事がよくある。
ニュートン、デカルトその他多数。
デカルトの「我思うゆえに我あり」も
原文はラテン語だ。cogito ergo sum
勿論デカルトはローマ帝国なんぞとっくに崩壊した後の人物。
要するに高等教育の結果としてラテン語を使っていた。
これはお金持ち、特権階級の話だ。
パンピー、貧乏人は読み書きすらできない人が多かった。
勿論ラテン語での読み書きなんぞもっと無理。
ラテン語なんか聞いてもサッパリ分かりません状態だった。

そんな状態で教会通いなんかして大丈夫なのか?
と心配になるところだ。
一応調べてみると聖歌や祈りはラテン語でも
説教部分だけは日本語だったりしたようだ。

「教会ラテン語への招き」には色々興味深い話題が出てくる。

カトリックでは1962〜65年に第2バチカン公会議があった。
ここで各国語でのミサが認可されるまでは
礼拝はラテン語で行っていた。
当然信者どもは何を言ってるのかワケワカメ状態。
しかし、「むしろ、それがありがたい」
とトンチンカンな事を言うのが当時の信者だったらしい。
(「教会ラテン語への招き」p22)
意味が分からないのなら、
ありがたいのかどうかすら分からないはずだ。
「教会ラテン語への招き」を見ていると、どうも
「世界中どこに行っても同じラテン語のミサだから
どこに行っても我が家に帰ってきた的なホッとする感がある」
というニュアンスのようだ。

全く意味がわかりません。
お前はそんなに世界中旅しているのか?
日本の海外旅行自由化は1964年4月1日。
ちょうどラテン語の礼拝が日本語に
切り替わるかどうかぐらいのタイミング。

ミサがラテン語限定だった時代は
海外旅行すら気軽には行けなかった時代だ。
勿論1ドル360円時代。
海外旅行は今より明らかにハードルが高かった。

年に1回すら行けるかどうかすら怪しい
海外旅行か海外出張のホッと感のために
毎週毎週の礼拝がメタメタにされて嬉しいのか?

そもそも聞いても分からないんだから
「世界中どこに行っても同じ」かどうか分からないはずだ。
「なんとなく」「雰囲気だけ」でもうご満悦か?
随分やすっぽい連中だ。

さすがバカ専用宗教のキリスト教だ。
マンセーマンセー叫んでる北朝鮮と大して変わらない。
少しでも疑問を呈したら「知識を誇るものは驕り高ぶっている」
「驕り高ぶるのはサタンと同じだ」とヒステリー開始。

いや、驕ってねえじゃん、いつ誰が何を誇ったよ?
と冷静なツッコミを入れても誰一人聞く耳持たず。
で、イジメられるのが嫌だから信者も
マンセーマンセー言うだけ。
これが1000年以上続く由緒正しいキリスト教だ。

聖歌隊のメンバーが歌うのは、
歌っているメンバーにも意味のわからない
グレゴリオ聖歌で、これも当然のことながら100%ラテン語

(「教会ラテン語への招き」p23)

意味がわからないのに、それが賛美になるのか?
何なら私がラテン語でサタン崇拝の歌でも作ってやろうか?
「これはバチカン図書館で発見された最古のグレゴリオ聖歌です」
と大ボラふいて、どこぞの聖歌隊にでも歌わせてやろうか?

会衆はもっぱら司祭と侍者が交互に唱えるラテン語の式文を
何のことか分からないまま、ありがたく「拝聴」していた。

(「教会ラテン語への招き」p5)

その侍者は信者のガキが強制的にやらされていたらしい。

小学生から中学生位までの男の子は

誰もがミサの侍者を勤めるために
司祭と交互に唱えるラテン語の祈りの文言を、
意味も分からぬまま懸命に暗記しました。

(「教会ラテン語への招き」p20)

あー。なるほど。小学生から中学生までの男子なんて
そんな規定は聖書のどこにも出てこない。
なんでそんな勝手な規定があるのか?

ラテン語が分かるのは司祭だけ

ラテン語の指導ができるのは司祭だけ

ラテン語の指導という大義名分で小学生男子を教会に呼び出す。

ラテン語指導のついでにカマ掘りまくりんぐ

小学生なら性知識も無いからパニクって親に相談もできない。
だから口封じにもなって(゚д゚)ウマー 
肝心のラテン語がデタラメで全然暗記できていなくても
どうせ信者どももラテン語はわからないんだからバレません
ていうか司祭自身ラテン語間違って覚えてるしw
ええ、勿論、司祭自身、小学生時代から
カマを掘るのも掘られるのも大好きですけどそれが何か?
・・・ま、こんな感じ?

「教会ラテン語への招き」によると
礼拝=ミサがラテン語で行われるようになったキッカケは
プロテスタント対策。
トリエント公会議(1545〜63年)で決まった事だ。
ちなみにプロテスタント騒動の元になった
ルター(martinus lutherus)は
アウグスティノ修道会(ordo sancti augustini)の司祭
(「教会ラテン語への招き」p17)

コレ(=プロテスタント騒動)以上の分裂や混乱を

防がねばならない。分裂の反対は統一。
で、中央集権的な一極集中型管理がイイと思った(?)らしく
礼拝はラテン語に統一という話になったらしい。

「教会ラテン語への招き」p17によると
旧来色々あったミサ典礼文は統一されて
"ローマ・ミサ典書"missale romanumとなり(中略)
単一化され、カトリック教会の公用語は
ラテン語である事が確認されたのです。


つまりトリエント公会議以前は礼拝全体が
ラテン語とは限らなかった可能性がある。
色々あったと書いているだけで、
その色々が何語だったかまでは

「教会ラテン語への招き」には書いていない。

一応この田淵文男は1935年生まれでイエズス会の司祭
江澤増雄も1934年生まれでカトリック信者。
しかも二人揃って上智大学出身。
第2バチカン公会議以前の

ラテン語オンリーのミサを体験している。
p22には

私の個人的記憶にある40年代50年代の日本のカトリック云々
と書いてある。

40年代を知っている=10代で既に信者だったという事。
上智に進学した事も合わせて考えると
こいつらの両親がキリシタンかもしれない。
本の最後に何を思ったのか二人の住所が書いてある・・・。

うわーっと手が滑ってコピペしちまった。 (・ω<)テヘペロ
田淵文男 〒177-0044 東京都練馬区上石神井7-32-11
江澤増雄 〒247-0032 横浜市栄区桂台東7-1-403
いいか!絶対にゴキブリの死体とか

着払いで送りつけたらダメだぞ!
差出人名にイエズス会司祭○○とか

テケトーな事書いたらダメだぞ!
勘違いして受け取りしちゃうかもしれないから!!

尚、トリエント公会議以前もウィクリフ聖書(英訳)関係者が
投獄されたりしている。(すぐ後で説明)
だからラテン語ゴリ押し主義は

トリエント公会議以前からの伝統だ。
元々のゴリ押しをプロテスタント対策で更にこじらせたという事。

一方のプロテスタント側は聖書の翻訳に積極的だった。
例えばルターも聖書のドイツ語翻訳をしている。
とはいえ、ルターが活動開始したのは16世紀初頭。
それ以前で見るとウィクリフ聖書がある。
これがウルガタ全体の英訳としては初。
(英訳=イギリス=後のプロテスタント側の国)
これは前期訳は1382年。後期訳は1388年に完成。

但し、部分的な訳、例えば詩篇のみの翻訳ならば
ウィクリフ以前にもあった。
また、ウルガタ聖書の行間に逐語訳を書き込んだ
interlinear版的な聖書ならもっと以前からあった。
例えば大英図書館所蔵のリンディスファーン福音書。
(Lindisfarne Gospels)これは10世紀中盤。

ウィクリフは1330年生まれ。1384年死去。
オックスフォード大学出身。

「宗教改革の暁美ほむら」とも呼ばれる。
あ、いや、これはウソ。
「宗教改革の明けの明星」とも呼ばれる。
この頃カトリックは何をやっていたかと言うと
1376年教皇グレゴリウス11世が一般信徒による聖書研究を禁止
1408年聖書の英訳は禁止
ウィクリフ聖書は没収され関係者は投獄された。


ウルガタから訳するのではなく
旧約をヘブライ語から英訳して
新約をギリシア語から英訳するという意味でなら
william tyndaleが初。これは1523年。
ルター騒動の直後ぐらいのタイミング。
このティンダルも司祭でオックスフォード卒。
ティンダル聖書も徹底的に取り締まられて
ティンダル本人は最後は死刑になった。

次の日曜に近所の教会に行って
「ラテン語聖書以外は邪教だー!」と叫びながら
聖書燃やしてやろうか?
これこそが由緒正しいキリスト教だ。
神の教えを冒涜する不信仰者に正義の鉄槌を!
アーメン、そーめん、味噌ラーメン


最後はお約束のひと言をオナシャス。
「黒幕はキリスト教徒!」
みかん、いや、未完