2015年11月8日日曜日

皇族や桜に潜む日本のイカサマ疑似伝統2

菊・蓮・桐・家紋から考える日本のイカサマ伝統やイルミちゃんの出自
そして日ユ同祖論信者が騒いでいる物の正体が何なのかの考察

「皇族や桜に潜む日本のイカサマ疑似伝統」の記事では

ごく一部しか書かなかったが
桐紋を見れば脊椎反射で「豊臣秀吉」と言う人がいる。

しかし、これは不正確な表現だ。

豊臣秀吉は桐紋を使った。←これは正解。
桐紋は豊臣秀吉の家紋だ。←これは不正解。


という微妙な関係である。
前回記事(皇族や桜に潜む日本のイカサマ疑似伝統)でも書いたが
五七桐紋は天皇家の家紋である。

例えばアベシ1人に限らず総理大臣の会見には五七桐紋が

つきものなのは、なぜなのか。
内閣総理大臣は全員家族だから家紋が同じなのか?
田布施システムを調べると「歴代総理大臣は家族」というのも
あながち間違いではないから困ってしまうが(苦笑)
下の写真のように歴代総理が五七桐紋を使う理由はそれではない。

 
 
 
 これは日本国憲法6条に以下の内容が書かれているのが理由。

「天皇は、国会の指名に基いて、内閣総理大臣を任命する。」

天皇に認められているというシルシが五七桐紋である。

ほら、やっぱり五七桐紋じゃないか。菊紋ではない。
ちなみに500円玉に刻印されているのも五七桐紋。 
これは硬貨は日本政府が発行しているから。
日本政府=天皇公認=五七桐紋。
あり?日本銀行じゃないの?というのは違う。日本銀行はお札。

家紋とは○○家で代々使ってきたから自分も使う、という
それだけのものではない。人に贈ったり贈られたりする事がある。
何かイイコトがあれば

「お前、でかした。気に入った。俺の家紋使っていいぞ」
という事だ。
現代社会では、そんな事は誰もしないだろうが
何百年も前にはよくある話だった。
そのため大名クラスの特権階級なら複数の家紋を持つのが常識だった。

例えば以前の記事でも紹介した細川氏の「細川桜」と「細川九曜」。

 
或いは日ユ同祖論フルボッコシリーズで書こうかとも思ったが
姫路城の城主として有名な池田輝政。
彼の家紋の代表は揚羽蝶紋だ。 姫路城に行けば、
道路脇のオブジェやお土産屋等複数箇所に揚羽蝶のモチーフが見られる。
その池田の揚羽蝶紋にもバリエーションがあり、これは備前揚羽。
まだ他にもバリエーションはある。
いずれにせよ、複数の家紋を使うのは珍しくも何とも無いという事だ。

揚羽蝶紋と言えば元々は織田信長の家紋だった。

(勿論、織田信長も複数の家紋を持っている)
そして池田輝政は代々織田家の家臣であった。
家臣としての功績を認められて織田信長の家紋を使っていた。
勿論、池田は姫路出身ではない。尾張方面の出身。
いや、それどころか、輝政は「豊臣七将」の1人でもあり、
また、嫁(再婚)が徳川家康の次女。
つまり、織田家、豊臣家、徳川家の全てで幹部クラスだったという
色んな意味でスゴイ大名だ。戦国武将談義もまた追々。

そしてこの池田輝政も五七桐紋を使っている。
何も五七桐紋を使ったのは豊臣秀吉と池田輝政の
2人に限った話ではない。桐紋を使った大名は全国にいる。
何かの功績をあげると天皇家から許可されたり
或いは許可された人が更に別の人に許可したり
(豊臣秀吉は五七桐紋を使う前は、五三桐紋を使っているが
これは織田信長から許可されたもの。羽柴秀吉時代。)
桐紋を貰った人も嬉しいから調子にのったようで

許可の許可の許可の許可の・・・と余りに濫発しすぎて
桐紋の価値が大暴落する事態になった。
秀吉の時代には桐紋の贈与の禁止令が出たほどだ。
1591年=天正19年と1595年=文禄4年の2回禁止令が出ている。
要するに1回めの禁止令では違反者が後を絶たなかったのだろう。
「お前らどれだけ桐紋好きなんだ?」という話だ。

そのせいで、ごく一部には

「天皇家と無関係なのにウチは五七桐紋だ」という人がいる。
「天皇家と無関係なはずなのに五七桐紋だから
天皇陛下に畏れ多いと言って爺ちゃんが丸を付けて
家紋を"丸に五七の桐"に変えてしまった」という人の話を
又聞きした事がある。 

尚、五三桐は更にまた別。今は五七桐の話。
五三桐は庶民が無許可で勝手に使っていい家紋。
だからレンタルの喪服等にはよく入っている。
桐紋を見分ける時には花の部分(立っている所)に注目。
 そこの房の数で区別する。総理大臣記者会見で使うのは
五七桐紋。数を数えたらちゃんと5と7だ。
まだ、他に七三桐紋というものもある。
これは日ユ同祖論フルボッコシリーズの内容にも戻るが
やはり「日本人は奇数が好き」という事だ。
ちなみにゲマトリアもユダヤ教も関係ありません!

このように天皇家の家紋といえば、五七桐紋。
特に江戸時代までは尚の事、五七桐紋。
だから古代エジプトのナントカ遺跡に菊紋ガーと話が出ても
どうという事はない。
ましてやそれを根拠にして、日本人は元々中東から来ただの、
日本人はユダヤ人であるだの、そんな話は「あっそ、だから何?」と
鼻クソでもほじっておけばいい。

(注:菊花紋が明治以前には存在しなかったとは
私はひと言も書いていない。その点誤解なきよう)

いや、それどころか天皇家は五七桐紋を使う更に以前は
日月紋を使っていたという主張すらある。
参考リンク

どうした?日ユ同祖論信者ども?
大急ぎで五七桐紋を中東で探していたか?それも空振りらしいぞw
ほら、頑張って日月紋を中東で探してこいw

五七桐紋が皇室の家紋になったのは縁起がいいからだそうで
桐は鳳凰がとまる木とも言われる事に由来するらしい。
 そして五七の桐といえば中央のこれ・・・。
 見方によってはメノラー=ユダヤ教の燭台に見えなくもない。 
都合よく三本柱構造だからカバラの生命の樹にも似ている。

つまり・・・生命の樹は桐の樹だったのだ!

注:桐って木ですよ。桐のタンスってあるでしょ。
なぜ桐がタンスの材料になるかというと
燃えにくいからだそうで・・・あれ?それって・・・
フェニックソがとまる樹にはふさわしいような・・・。
だって普通の樹にとまったら燃えてしまうではないか
鳳凰・・・フェニックソ・・・炎・・・燭台・・・桐。
参考。フェニックソはファイヤーバード。
炎の中から蘇ると言われる。
ババーン! 生命の樹は五七桐紋なんだよ!な、なんだってーΩΩΩ
(注:カバラの生命の樹は15世紀になってから。
後付けで登場したものでしかない。
よって古代史考察の場合は、生命の樹を発見しちゃった方がアウト!
今はこういうネタの方が面白くない?という考察をしている。
あくまでもネタだ。
日ユ同祖論信者のしょっぱいギャグに飽きてきたから
私自ら新ネタを提供しただけの話。ホイホイ鵜呑みにしないように。
今、このネタは五七桐の中央がメノラーに見えるって所から
スタートしているが
日本最古の家紋は日月紋ですら文武天皇が701年に使ったのが初
と言われる。そしてユダヤ10部族消失詐欺は
それよりも1000年以上前の話。
ましてやそこへ15世紀の生命の樹とかつなげるほうがおかしい)
ユダヤ教の燭台=メノラー。
五七桐とメノラーの中間形態として七支刀でも置いてみればどうか?

突っ込むのならせめてこのあたりを突っ込んで欲しいのだが
日ユ同祖論信者はなぜか菊には食いついても
このあたりには食いつきが悪い。
バカは家紋の由来を調べる事すらしないからではないか。

ヘブライ文字とカタカナは同じか別かという話題と同じだ。
古代のルールを基準にすると途端に矛盾点が出るような
同祖論に価値は無い。
ヘブライ文字の筆記体とひらがな・カタカナが同じだろうが
知ったことではありません!

それと同様、五七桐紋でも出てきたのならまだしも、
菊紋が見つかったからと言って騒ぐのはおかしいのではないか。
天皇家なんか元々日本人ではないのだから尚の事どうでもいい。
ヨソモノ(天皇)がヨソモノのエンブレム(菊紋)を

使ったからといって何だと言うのか?放っておけばいいじゃないか。

もっと言えば日本人は頭の中で「日本=天皇=菊紋」という
ツッコミどころ満載の固定観念に縛られているせいで
本当は菊ではないものさえ、「菊ガー、菊ガー」と
騒ぎすぎな疑惑すらある。例えばこのツイート

エジプト第21王朝のファラオ、プセンネス1世の墓から出土 ※注意日本ではなくエジプトで発掘されたものです  

この人は「日ユ同祖論ではなく日イ同祖論」がどうとか
語っていたりする 参考リンク

日本人の祖先はユダヤ人?驚きの共通点ざっくりまとめ - NAVER まとめ
日ユ同祖論△ 日イ同祖論○ 

別にどっちでもいいですけど。どうせ日本とイスラエルだろうが
日本とユダヤだろうが、別物に変わりはないですから。
しかし先程のツイートに添付されていた
プセンネス1世の墓から出たというコレは何だろうか。 
先程の人はそこまで書いてはいないが、菊紋そっくりなので
これは天皇家と古代エジプトがつながるとでも言いたいのか

もう既に説明したが、天皇家の家紋ならむしろ五七桐紋ではないのか?
いや、紀元前プセンネス1世は第21王朝=紀元前。
ならば五七桐すら使われず、日月紋かもしれない。
菊紋から離れる一方ではないか。

しかも天皇家が日本の象徴というのはあくまでも自称だ。
元々ヨソモノの分際で何を図々しい事を言ってるんだか?
万が一、天皇家と古代エジプトがつながったんだとしても
日本人全般を巻き込むのはやめてもらいたい。
そもそもこれは形が似ているだけで本当に菊紋なのか?と
問題提起をしたい。
たとえばこれ。右側は「パルメット唐草、バビロン、紀元前6世紀頃」
との事だ。ちょっと菊紋にも似ていないか?
参考。菊花紋。
尚、「パルメットとはシュロの葉を扇形に開いたような植物文様。
古代エジプト・アッシリアを起源とする。 」とも書いてある。
左は「ロータス唐草、ニネヴァ、紀元前7世紀頃」との事だ。

ソースはここ

私は、仮説として、蓮の花を菊と勝手に曲解している可能性を
指摘したい。参考リンク
 

色々と面白い話題が出てくるので補足しつつ大部分を丸写しする。 

蓮はアジアではヨーニ=女陰のシンボル。
インドの女神も蓮につながるものが多い。
ヒンズー教では世界を蓮の花に見立てて、

女神の肉体そのものが宇宙と捉える事がある。
タントラのマントラ「オーム・マニ・パドメー・フーン」は、
「蓮=女の中の 宝石=男」の意味で、

そこには複数の意味が込められていた。
女陰の中の男根、子宮の中の胎児、大地の中の屍、女神の中の男神、等。
蓮の7枚の花弁は天体の7層を表すとも言われる。
エジプトの女神は、ほぼ全員が蓮をシンボルにした。
    

 蓮は、中東においては、リル=lilu=lily=ユリ
これはシュメール・バビロニアの大地母神で、

アダムの最初の妻と言われたリリト=Lilithの花。
「3弁のユリ」=fleuer-de-lis=フルールドリスは、

シロツメクサと同様、かつては三相一体の女神の3つの女陰を表した。

出た!フルールドリス。イルミちゃんの好きなシンボルでもある。

 「まどマギ裏読み入門3」参照 

聖母ユーノーはユリによって救世主-息子マルスをみごもった。
聖母マリアの受胎の護符にもユリが採用されていた。
エジプトのアセト=イーシスの像には、
一方の手に男根を表す十字架を持ち、
もう一方の手には、女陰を表す蓮の果皮を持っているものがある。
 


エジプトはイルミちゃんのオキニの国でもあるので
実に叩きがいがある。エジプトは重要ポイントだ。
しかし、ひとつ忘れてはいけないのは、エジプトは本丸ではないという事。
イラン、インド方面こそ本丸ではないのかと
ねこた先生は昔から指摘している。

イルミちゃんは何者なのか。やつらの力の源泉は何なのか。
そのへんは非常に大きいテーマなのでまた追々、

ファラオたちは、死後の再生を成就するため、
「世界蓮」と性的な交渉を持った。
ほとんどの東方の秘教では、精神的な知識も
まずは官能的な知識に始まると信じられていた。
蓮は女神の門であり、性はその門を通って
女神の内なる神秘に到達する「道」だった。
真の意味での賢者は正しい性行為によって、
最後には啓示の花を咲かせることができるというのだった。
この啓示の花は、骨盤に発して脊椎のチャクラを上昇し、
頭頂から流出している目に見えない光の蓮で、
千枚の花弁を持つと記述されていた。


どこぞの薔薇十字を思い出すのは私が悪い本を読みすぎなのだろうか? 


インドの父神ブラフマーは万物の創造主を自称したが、
彼は原初の女神の女陰から生じたのであり、
「蓮から生まれた者」と呼ばれていた。


創造主が創造されちゃったのか。胸熱w

エジプトの父神ラーも創造主を自称した。
彼も女神によって生み出された。この女神は
「大いなる世界蓮であって、天地創造の際には、
まず、太陽がその蓮から昇った」と言われた。


創世記第1章と似てはいないだろうか?
最初の天地創造は「光あれ」だ。
これは「まず太陽が昇った」に近くないか?
しかも天地創造が始まる前の状態を聖書は
「地は形なくむなしく、闇が淵の表にあり、
神の霊が水の表を覆っていた」と書いている。
蓮の花と言えば沼地に咲く。沼地なら地面が・・・形なくむなしく?
沼地ならば水の表面だって・・・これは偶然の一致か?

言っておくが「聖書が全宇宙の真理を書き表している」云々の
与太話は却下。これは聖書のパクリ疑惑だ。
ウソつきなだけでも痛いのだがパクリでもあるという事だ。
聖書がパクられた側ではない。パクった側だ。
それは、一般に主張されているよりも聖書の成立は新しい事が
証拠となる。
全宇宙が始まって以来の真理を書き記したなんてヨタ話は論外として
こういうエジプトやインドの古い神話よりも聖書は成立年代が新しい。
一般に考えられているよりも最悪1000年以上新しい。
その証拠は色々ある。例えば「パロ」=ファラオ=エジプトの王様。
聖書を読むとパロと書いてある。これはBHS含めてパロだ。
私はかつてgreeklatinaudio.comが公開していたヘブライ語の
聖書朗読音声も持っている。その音声を聞いてもパローだ。
greeklatinaudio.comは現在既に閉鎖済み。
ここで英語-ヘブライ語対訳聖書でも読めばいい。
こう(↑)書いてある。パロ。ニクダー有りとニクダー無し。 
しかも出エジプトにかぎらずイザヤ書やエゼキエル書にも
「エジプトの王パロ」という表現が出てくる。
そして、このファラオ=パロはギリシア語である。
エジプト語では「ペル・アア」が正解。
という事はプトレマイオス朝がくさい。
プトレマイオス朝の成立は紀元前306年。
・・・一般に言われている聖書の時代よりも新しすぎる。
最悪の場合新約と旧約の成立年代が逆な事すらあり得る。
これは部分的に逆なだけかもしれない。
逆というよりも新約に合わせて旧約が書き換えられているのかも。
例えば旧約聖書の○○の予言が成就云々という話がいくつかある。
常識で考えればいい。神様がウソならなぜ聖書の予言がビンゴする?
答え→後出しジャンケンだから

パロの話を私に教えてくれたのはねこた先生
参考→リンク1 リンク2 リンク3 リンク4 リンク5    
旧約聖書の出エジプト記を見ると、ファラオのことを「パロ」って
書いてあるでそ?BHSでどう書いてあるのか知らないけど、
もしヘブライ語聖書でそれに類する表現があるなら、
プトレマイオス朝以前の成立はありえないかと。
まぁ、書き換えとかあるのが聖書だけど。
ファラオ(大きな家)ってギリシャ語だからね。

エジプト語では「ペル・アア」って言うの。
もしヘブライ語の最古の写本にペル・アアと書いてなければ、
プトレマイオス朝の可能性が出てくるよ。

 

(確かにさっきの文字はパロなのかファラオなのかは
議論の余地がある。これはニクダーその他ヘブライ語の文法的問題。
しかし、ペル・アアとは読めない
尚、先生のツイートでベル・アアと書いてあるのは誤字。
ペル・アアが正しい)

ねこたさんはね、大人の世界の聖書学では、
ギリシャ語の70人訳のセプトゥアギンタが

紀元前70年に成立したらしいけど、
ヘブライ語聖書の編纂とギリシャ語聖書の成立は

あまり間をあかないで成立したと思う。
プトレマイオス朝が臭いな。
ねこたさんは、旧約聖書の編纂と翻訳については、
かなりヘレニズムというかギリシャの文化的支配の影響下で

編纂及び翻訳されたと考えてます。
恐らくアレクサンドロス大王の東方遠征がなければ、

こんなにまで聖書が世界を席巻することはなかったと思うの。
なんで日油同祖論を鼻息荒く言う人たちは、

プトレマイオス朝の支配下で、ユダヤ教徒なのに、
ギリシャ風の名前を持ち、ギリシャ語を話して、
母語であるアラム語とは違うギリシャ的な思考をする
ユダヤ教徒(フィロンやヨセフス)の事を無視すんのかな?


何もパロだけではない。聖書の成立年代には他にも矛盾点がある。
例えば、ラクダが旧約聖書に出てくる。
だが、ラクダが家畜化されたのは紀元前10世紀。
一般に言われる旧約聖書の成立年代とは数百年ズレている。
勿論考古学なんて何か新しいものを
1つか2つ掘り出せば変わってしまう事もある。
しかし、掘り出すと言えば、イスラエル地域はいくら掘っても
古代イスラエル王国の遺跡が出ないのはなぜなのか?
答え→存在しないものは掘っても出る訳がありません

しかし、いちいち掘らなくても嘆きの壁があるではないか?
答え→あれはバアル神殿です。

参考→猫2号ブログ 
聖書のウソ、欺瞞、裏読みについてはまた追々。

では、最後はお約束のひと言をオナシャス。
「黒幕はキリスト教徒!」

みかん、いや、未完