2015年11月4日水曜日

皇族や桜に潜む日本のイカサマ疑似伝統1

YOUの考える日本は日本じゃない m9( ゚д゚)ビシッ!!

今回のブログ記事には元ネタがある。→リンク 
日本の《疑似伝統》 阿満利麿という人が1991年3月に書いたようだ。

今回はこのPDFの内容をダイジェストで紹介する。
更に私が加筆補足する。
そして、一般に「日本の伝統」と考えられているものは
明治以降に捏造されたものでしかないという点を説明したい。

例えば皇室行事も明治以降に新設されたものが多い。
皇居の宮中三殿=賢所、皇霊殿、神殿。天皇の伊勢神宮参拝。
これらはすべて明治以降の話である。
天皇の親祭する13の祭典のうち11は明治以降に「新設」された。
皇族が儀式で着る服も江戸時代までは唐服だった。
今皇族がもっともらしいツラして着てる服は明治以降に着始めたもの。
それが平安時代のデザインを踏襲していようが何だろうが
明治になって大慌てでデッチ上げたイカサマ伝統文化だという事に
変わりはない。
日本初の神前結婚式は1900年の皇太子の結婚式。
ちなみに元ネタはキリスト教。 

そもそも神社は結婚式を取り扱うような場所ではなかった。
いや、それ以前に日本文化は仏教の影響が余りにも大きい。
神道なんぞ完全に、いらん子扱いでしかなかった。

例えばNHKの大河ドラマ「軍師官兵衛」でも26話で
「恵林寺の快川和尚は帝に仏法をお教えする国師にございます」
という明智光秀の台詞が出てきた。
参考→快川紹喜wiki  国師wiki

ネット検索等をしていると「天皇陛下は神道の最高位の祭司」等と
よくわからない妄想を語っている人がいる→リンク
或いは「世界最強の天皇陛下」という、滑りギャグとしか思えない
NAVERまとめもある→リンク

常識で考えてみたらいい。
その「最強で最高位」な歴代天皇の墓はどこにあるのか?
(古墳ではない 寺だ!)
その「最強で最高位」クンが坊主から仏教を教わるのはなぜなのか?
明らかに天皇よりも坊主の方が格上じゃないか。

別の喩えにしてみようか?
ローマ法皇が毎週参禅したらどうだろうか?
ローマ法皇が○○寺の住職から仏法を教わっていたら?
比叡山だかどこかに歴代ローマ法皇の墓があったら?
法皇が枢機卿でもひきつれて毎年お盆に墓参りでもしてたら?
バチカンやキリスト教の権威は失墜、ガタ落ちだろう。

天皇家も神道も本来はその程度の底辺の存在でしかなかった。
その失墜したはずの天皇が、現人神だの日本の象徴だの
痛い事を言い出すのは明治以降。

また、日ユ同祖論ともつながる話題だが、
天皇家の家紋が菊花紋というのも明治以降の話だ。
「十六八重表菊」が公式に皇室の紋とされたのは、
1869年(明治2年)8月25日の太政官布告第802号による」
(wikiより) やはり明治時代ですり替わっている。
江戸時代までの天皇家の家紋と言えば五七桐紋。

注:菊紋の存在を否定する訳ではない。
存在はしたが桐紋よりもマイナーだったと書いている。
「表紋」「裏紋」「替紋」「女紋」という言葉の意味を調べたらいい。
桐紋、菊紋の話題はちょっと長くなるので別記事にしてupする。 
とりあえずは「日本=天皇=菊紋」「桐=秀吉」
このマヌケな固定観念を捨てろと言いたい。

明治以降と言えば「桜」の文化も捏造されている。
ネトウヨ系のツイッターアカウントやブログでも
必要以上に桜を前面に出しているものが多い。
だが、あんなものは精神病の発作程度に考えておけばいい。

「花は桜木 人は武士」とは江戸時代からよく言われた言葉だった。
しかしこれは「桜ってキレイだね」程度の意味でしかなかった。
べつに桜が日本の心を象徴等とは誰も言っていなかった。

その証拠のひとつとして「桜」は家紋としてはマイナーである。
有名な大名で桜を家紋に採用したのはせいぜい細川氏ぐらい。
(細川護煕の先祖)
 しかも「替え紋」の「細川桜」(↑)でしかなかった。
 細川の家紋と言えば「細川九曜」(↑)が基本。
(注:昔の大名は家紋を複数持っているのが常識)
「細川桜」については 

武家の中では珍しかったことから、
細川管領家の「物好きの御紋」と伝えられている。
武士は桜の散り際の潔さを愛でながらも敬遠したようで、
武家で「桜紋」を使用する家は多くない。
ソース 

こういう話も伝わっている。悪趣味とまでは言わないまでも、
微妙に変態扱いされているのが桜の家紋だ。
これが日本文化の象徴なのか?おかしいじゃないか。

それが何をどうこじらせたのか
「桜が散るのは美しい」だの「潔く散るのは日本人の美意識」だの
言いだしたのは幕末の混乱期の話だ。
この辺りは桜オタクの本居宣長の影響も大きい。
例えば「敷島の大和心を人とはば朝日に匂ふ山桜花」

ところで本居宣長、平田篤胤と言えば、
師匠も「こいつらバテレンだから要注意」と言っている→リンク

そもそも「桜=散る」というイメージは、明治時代に
基地外のように日本全国にソメイヨシノを植樹したせいで定着した。
これは、それ以前の山桜より、ソメイヨシノは散りやすいからだ。
同じ明治時代には、本来武家が敬遠したはずの桜が
帝国陸軍の記章になった。
「桜のように散れ=死ね」だの何だのアホ満開な事を真顔で語りだす
バカがのさばった時代でもある。

「桜=キレイ」       ←江戸時代
「桜=散る=キレイ」    ←明治時代
「桜=散る=死ぬ=キレイ」 ←大日本帝国軍

「平民は死ね!俺はお前らを踏み台にして生きるけどな!」
(ヤツらの本音)

そもそも明治時代・・・。「明」はイルミちゃんではないのか?
illuminati → illuminate イルミネーションのイルミだ。
そりゃ、日本文化もおかしくなるはずだ。

「花見」にしても、本来は田植えのシーズンを判断するために
「花を見る」という意味であった。
つぼみを見て、「あー、そろそろ準備しなきゃなー」とか
花の咲き具合を見て「おっ、今年は豊作かもしれないぞ」とか
そういう意味で「花を見ていた」。

それが今のような宴会、飲み会としての花見になったのは
これは朝鮮人メンタリティの影響ではないのか?

日本は「言の葉挙げぬ国」「以心伝心」の国のはずだ。
一方、朝鮮人は静かなのが嫌いだ。
何でも無駄に騒がないと気がすまない。

例えばパチンコ。朝鮮産業として有名だが耳が悪くなりそうな程うるさい。
他にもカラオケだって朝鮮産業だ。
歌広場、ジャンボカラオケ広場等、在日企業が多い。
カラオケ発祥の地も神戸(関西は在日が多い)→リンク

神戸と言えば「ヤツら」が日本を侵略する拠点のひとつでもある。
叩けば叩くほどホコリが出てくるのでこれは別記事にして公開する。  

朝鮮文化の話に戻れば、極真空手。
創始者の大山倍達は自他ともに認める朝鮮人。
なぜ極真では必要以上に「気合」と称して大声を出す事を強要するのか? 
そもそも空手は明治時代に琉球から本土に伝わっただけで
日本武道ではない。

(最近は東京オリンピックへの参加を狙って
寸止め系がカネや利権欲しさに必死のプロパガンダを流している。
それはそれで痛々しい) 

大山倍達は自分が朝鮮人であるコンプレックスを隠したいのか
「日本武道、日本武道」とうるさかった。
世界大会では「日本が負けたら腹を切る」とまで大見得切った。
しかしその裏では八百長工作という卑怯な手を使った。

例えば「二代目総裁間違い無し」とすら言われた
中村忠会長はなぜ極真をやめたのか、著書を読めばいい。
世界大会での八百長問題が大きい。

中村会長が辞めた後も極真の八百長体質は続く。
例えば第四回世界大会決勝の松井章圭対マイケル=トンプソン戦。
一体、ルールのどこに何と書いてあるから
あそこまで延長戦を繰り返したのか?
アレはルール通りに体重判定に持ち込むと松井章圭が負けるからだ。
日本が優勝するためなら審判団自らルール違反を繰り返しただけの話。
その松井章圭だって在日韓国人で本名文章圭。
日本の王座を死守だの空手母国だの茶番だ。
空手は琉球発祥だとあれほど言ったではないか。

大山倍達は宮本武蔵信者なのも痛い。
そもそも宮本武蔵は剣豪ではない。
(最近は板垣恵介が刃牙道で宮本武蔵やっていて
しかも板垣は高岡英夫臭くて更に痛いがw)
あれは昭和に吉川英二が朝日新聞で連載した小説が原因。
吉川の小説がバカ受けしたせいで宮本武蔵=剣豪という
イメージが蔓延しただけの事。
元々、剣豪と言えば塚原卜伝だった。
剣の名人は「今卜伝」と呼ぶのが正しい。

或いは、朝鮮(を含む外国)の葬式では
「泣き女」とか「泣き屋」と呼ばれる人が来る。
そして、わざとらしく泣き叫ぶ。勿論おカネを貰っての話だ。
 日本人の感覚では
「本当に悲しくて泣くのならともかく、カネを払ってウソ泣きをさせる
なんてみっともない」と思うはずだ。
これも無駄に騒がないと気がすまない、うるさいのが好きな朝鮮文化。 

そういえば民主主義がどうとか絶対に止めるとか
心にもないウソを語ったバカもいた。
国会前デモという名目のチンドン屋ごっこを主催したバカだ。
しーるずの奥田じーざすとかいう男だ。あいつも朝鮮人。

或いは最近急に流行が捏造されているのはハロウィン。
渋谷で騒動だの何だのニュースやツイッターで見た人も多いはずだ。
このハロウィンも在日企業の電通がしかけている→リンク

同じ在日企業仲間の、博報堂行動デザイン研究所が
「東京+アセアン5都市の生活行動比較調査」
というものをwebに公開している。→リンク

その調査結果によると

日本人は欧米由来の行事イベントの参加率がアセアン5都市を上回る。
「クリスマス(68.2%)」「ハロウィン(14.8%)」

日本人の欧米由来の行事イベント参加は、女性(特に20代)が牽引。
特にハロウィンは、20代女性の約4割が参加。

日本人は「家族での集まり」よりも「ケーキやお菓子」「ギフト」

といった物質的行動が優先される。
一方、アセアンは、「家族」優先。

・・・だそうだ。
元々ドルイドの祭りな時点で、ボスのイルミちゃんもホクホクだろう。
若い女を狙うところが意地汚い。
女に相手にしてほしい一心で男も釣られるし、
ババアも若い女と違うことをすると
すぐにトシの事を言われるのが怖いから、流行を追うのに必死だ。 

イルミは若い女を狙う これはひとつのポイント。
創世記のエデンの園でも蛇が誘惑したのは女だ。非常に象徴的。

そうやって日本文化を潰していった結果
今回の記事で書いてきたように「日本文化」と思われるものは
どれもこれもデッチアゲで捏造で偽文化でしかなくなっている。
天皇、菊紋、神道、神前結婚、桜、花見、極真空手、
宮本武蔵、刃牙道、ハロウィン・・・。

何もこれだけで済む話ではない。
猫2号ブログを見れば日本文化がいかに「ヤツら」によって
デタラメまみれにされてきたのか
例えば「初詣」は捏造文化だと解説する記事がある。→リンク

勿論初詣だけで済む話ではない。日本史だって捏造まみれだ。
そのあたりの事情も猫2号ブログには解説があるので
一度は読んでおかないと恥をかく。

では、捏造文化、偽文化が横行しているとして、
逆に日本文化の本質とは何か。

私は日本文化の中心は正座ではないのか?と思う。
そう思う理由はまた追々。
ただ、今現在、正座なんか日本人は嫌がるはずだ。
ただの罰ゲーム程度にしか考えていないだろう。
その意味では、あなただってもはや日本人ではない。
YOUの考える日本は日本じゃない m9( ゚д゚)ビシッ!!
何?私?私はガチレズでガチKGBだ。

おまけ。冒頭のPDFの中にこういう一文が出てくる。

明治天皇は国民を「赤子」と呼び
自らを「慈父」にたとえた。

これはキリスト教的な解釈ができる。
例えば、「神=父」というのは聖書の基本的な比喩である。

「父御子御霊」とか「アバ父よ」とかいくらでも出てくる。
「主の祈り」だって「天にまします我らの父よ」で始まるではないか。

赤子とは、例えば マタイ伝18章3節。
「幼な子のようにならなければ、天国に入る事はできない」 

最後はお約束のひと言をオナシャス。
「黒幕はキリスト教徒!」

みかん いや、未完 

0 件のコメント: