2016年1月9日土曜日

ガチKGBの黙示録1 キリスト教はバカ専用宗教です

偏差値28の奥田愛基くんが信じるキリスト教という
カルト宗教がある。
これでも一応世界三大宗教のひとつだ。
キリスト教は日本では無駄に美化されている。
信者ではない連中まで「キリスト教はいい宗教」
マヌケ全開の珍解釈をしている。
キリスト教は「ヤツら」のお気に入りのツールだ。
これは研究する価値がある。だから聖書も読む価値がある。
しかし読めば読むほどこんなものを読んで信者になる連中が
いかに頭がカラッポか思い知らされる。
いや、むしろキリスト教は信者に頭カラッポになれと求めている。
そこへ元々頭カラッポのバカどもがぞろぞろと群がっている。

そもそも聖書にはただのひと言も
ヤハウェが神である証拠など書いていない。
ましてヤハウェが最高で最善で全知全能で唯一絶対の神である
証拠など皆無。むしろその反対だ。
ヤハウェがアホでマヌケでカスでヤクザでデクノボーだ
という証拠なら多数ある。
それなのにナンバーワンかつオンリーワンのカミサマ以外を
信じるヤツはキチガイだと聖書には何度も書いてある。
聖書の記載を信じるのならまさにキリスト教徒がそのキチガイな件。
特大ブーメラン直撃乙。
しかもこのブーメラン直撃こそが「ありがたい」と
真顔で語りだすバカが後を絶たないのが笑える。

文句があるならヤハウェが偉大だという証拠をひとつでも出せ。

ここでキリスト教は絶対に答えを提示できない。
無いものは出せる訳が無い。終了。

万が一出したとしても絶対に二重の意味で間違っている。
ひとつは全く証拠ではないものを証拠だと勘違いしている点。
もうひとつはそもそも証拠を出すという行動自体が
キリスト教の教義に反するという点。

「あれ?証拠を出したらダメなんて聖書に書いてたっけ?」
と白々しくとぼけるキリスト教徒も多いと思う。
例えばローマ人への手紙10章10節
なぜなら、人は心に信じて義とされ、

口で告白して救われるからである。 

或いはテモテへの第二の手紙4章2節
御言を宣べ伝えなさい。時が良くても悪くても、

それを励み、あくまでも寛容な心でよく教えて、
責め、戒め、勧めなさい。

或いはマタイ伝12章37節
あなたは自分の言葉によって義とされ
自分の言葉によって罪あるものとされる

 
こういう部分から判断すると
黙っていたら負けというルールのように思える。
言わなきゃダメ。黙ってたら負け。
そう思って宣教するバカが後を絶たない。
礼拝等で証(あかし)と称してテメーの小っ恥ずかしいポエムを
語る(語らされる)信者どもが後を絶たない。

しかし根本的な問題としてキリスト教徒自身がキリスト教を
全く分かっていない。
聖書こそが唯一絶対の権威と称するキリスト教徒自身が
聖書の教えと真っ向対立しているというのは非常によくある事だ。
ウソだと思ったら次の日曜日に近所の教会に行って牧師か神父に
これから指摘するキリスト教の矛盾点を質問してこい。

キリスト教徒本人が一番アンチキリストとかこの茶番は何だ?
彼らが信じるものはキリスト教ですらない。ただのカルト。
そのあたりの矛盾点を叩き斬っていく。

神の神たる由縁は実際に能力があるかどうかにかかっている。
無能な神を信じるのはおかしいと
他ならぬ聖書が何度も何度も書いている。
例えば黙示録9章、ダニエル書5章、イザヤ書44章、まだまだある。

ところが他ならぬそのキリスト教のカミサマ自身が
一番無能で一番マヌケなのはどうするのか?
例えば、現実にヤハウェ様だかカミサマだかにお祈りをしても
何ひとついい事が起きないのをどう説明するのか?

例えば遠藤周作の「沈黙」
なぜ神は信徒の祈りに答えないのか?というテーマで
江戸時代のキリシタン迫害を描いた小説だ。 
聖書の中では随分と奇跡を起こして大暴れしたカミサマは
力尽きて死んだのか?

こういう時にキリスト教徒は「あなたの神を試みてはならない」と
言い訳を始める。
福音書でイエスとサタンが勝負した時にイエスがそう答えている。
手のひら返し乙

祈った時に助けるから、奇跡を起こすから、だから俺は偉いと
あれだけ連呼したのは他ならぬヤハウェだ。
で、そのヤハウェくんの言う事を信じて「助けてくだちゃい」と
祈ったらアウト、お前はけしからんとなぜか批判される。

契約、契約とうるさかったのは他ならぬヤハウェだ。
そのヤハウェが一番契約不履行な件。契約不履行は解約だ。
それでこそ契約だろう?
しかしキリスト教徒はこの矛盾がありがたいと言い出す。
信者脳補正にしてもひどすぎる。 

奇跡を求めたらけしからんのなら聖書そのものがけしからん。
若しくは奇跡は求めてよかったのなら「神を試みるな」と
言ってるイエスキリスト本人がアンチキリスト。
どっちに転んでもキリスト教終了。

私の好きな聖書の一節に列王紀上18章がある。
エリヤがバアル神の預言者450人を呼び集めて
どっちの神が祈りを聞き入れてくれるか勝負する場面だ。
まずは18章22節。

エリヤは民に言った、「私はただひとり残った主の預言者です。

早速笑わせてくれる。バアルの預言者は450人。
ヤハウェの預言者はエリヤ1人。
バアル教が大流行しているではないか。
やはり古代イスラエルの宗教はバアル教だ。

キリスト教徒どもは「いや、本来はヤハウェを信じていた。
堕落して邪宗に走っただけ。元々はユダヤ教だった」と
言い訳を始めるだろう。
バカはもう一度聖書を読み直せ。
聖書を読み直すとあまりにもバアルに堕落しすぎ、走りすぎだ。
どう見ても一時的な脱線ではない。むしろバアルこそ本流・正統

例えば出エジプトでシナイ山で十戒を受け取る時
イスラエルの民が黄金の牛を拝んだのはその証拠。
まさに現在進行形で奇跡をカミサマとやらが起こしているのに
他の邪宗に走るアホウはいない。
ヤハウェくんは牛くんだからこそ牛を拝んだ。
しかしここでまさかのヤハウェ&モーセ、激おこぷんぷん丸
このマジギレを根拠に「牛の像を拝んだのは邪宗に走っただけ」
というのがキリスト教の見解。
しかしモーセ自身、山から降りてきた時頭に牛の角が生えていた。
牛くんが牛くんを否定してどうする? 
「ファビョは図星の法則」発動。
「宇多田ぴカルとかいう、こうさくいんの話3」参照。

「元々ヤハウェを信じていた」というのは
ありもしない「元々」を捏造している。経歴詐称。歴史の捏造。
その意味で「◯◯は韓国が起源ニダ」と主張するバ韓国と同じ。
優秀な人を見るとすぐに「◯◯は在日ニダ」と言い出す
在日朝鮮人と同じ。
参考→リンク 【衝撃の真実】在日認定されしまった『スポーツ選手達』(これはひどい)

ここによるとデービッド=ベッカムもカール=ルイスも
在日朝鮮人らしい。
「あの人も俺も在日朝鮮人。だからあの人同様、俺もスゴイ」
と言いたいらしい。
・・・まずベッカムもルイスも「在日」してない件。
イギリスもアメリカも日本領だったのか?
あ、ベッカムはレアル時代も長かったからスペインも日本領か?
ちなみに安倍晋三が在日なのは本当。そこは間違えないように。
ご都合主義で歴史捏造は朝鮮とキリスト教の得意技。
後出しジャンケンでドヤ顔するのはヤツらの常套手段だ。

ウリナラファンタジーの分際で由緒正しいバアル様に喧嘩を売った
列王記のエリヤの勝負の行方を見てみよう。
エリヤはどっちの神が本物か勝負しようとけしかける。
牛の捧げものを神が受け取るかどうかという勝負だ。
ここで大事なのはバアル教側から仕掛けられたのではないという事。
エリヤ側から仕掛けている。
聖書を読むとカミサマの命令を受けてすらいない。
完全にエリヤの暴走。
明らかに「神を試みるな」というルールを破っている。
たった1人のヤハウェの預言者様自らが
ヤハウェのルールを破ってどうする? 
「神を試みてはならない」のではなかったのか?ブーメラン乙。
自分で妄想まみれのルールを決めておきながら自分で忘れて違反か。
頭が悪すぎる。偏差値28乙。
自称最後の1人のエリヤがこんなザマでは、正統なヤハウェの教えを
受け継ぐものはひとりもいなくなったという事か?
まあ、元々正統な教えなんて始めから存在しなかったんだけどな!

さて、その勝負だがバアル教の預言者がどれだけ必死に
何時間祈ろうが奇跡は何ひとつ起きないという所から始まる。
(ちょうど今のキリスト教徒ソックリで笑える)
エリヤは調子にのってバアル教バッシングを始める。

昼になってエリヤは彼らを嘲って言った、
「彼は神だから、大声をあげて呼びなさい。彼は考えにふけっているのか、
よそへ行ったのか、旅に出たのか、
または眠っていて起されなければならないのか。」
(中略)
夕の供え物をささげる時になって、預言者エリヤは近寄って言った、
「アブラハム、イサク、ヤコブの神、主よ、イスラエルでは、
あなたが神であること、私があなたの下僕であって、
あなたの言葉に従ってこの全ての事を行ったことを、
今日知らせてください。主よ、私に答えてください、
私に答えてください。主よ、この民にあなたが神であること、
またあなたが彼らの心を翻されたのであることを知らせてください」。
そのとき主の火が下って燔祭と、薪と、石と、塵とを焼きつくし、

また溝の水をなめつくした。
民は皆見て、ひれ伏して言った、「主が神である。主が神である」。

つまりここで分かるのは
聖書が本当であるなら→祈っても答えられないヤハウェはカス
聖書がウソであるなら→ヤハウェはカス
結論→ヤハウェはカス おk? 

文句のあるやつは今すぐヤハウェでもマリア様でも何でもいいから
祈ってみやがれ で、炎を天から呼び寄せてみやがれ。
キリスト教批判をする、けしからんknznymmmyを
焼いてくだちゃいって祈ってみろ。
できねえよな(笑) 能なしザマァ。
カルトの信者同士で傷の舐め合いでもしておけカス

聖書が求めているのはYESマン デクノボー
根拠のひとつも求めない盲信者。
いや、それどころか、不都合な事実を無視する
カルト脳を要求している。
だからこそ左右両建ての構造の説明で私は「カルト」と書く。
左=青=英米=ロックフェラー=信仰=クリスチャンカルト
右=赤=独仏=ロスチャイルド=知性=イルミ

知性や科学の反対がキリスト教だ。
反知性、反理性の盲目カルトこそがキリスト教だ。
だから私は証拠を求めた時に聖書を引用するのは
キリスト教徒としておかしいと書いた。
それは左目サイドのキリスト教徒には無理な話だ。
「なぜだろう?」「これはどういう事だろう?」と考えるのは
右目側のイルミちゃんがやる事。
左目側は頭をカラッポにしてアーメン、アーメンだけ言っている
盲信者でなくてはならない。

だからこそキリスト教を批判されて
ムキになって聖書を引用するような信者はレベルが低い。
低すぎる。カス以下。
まして聖書以外の証拠を持ち出すようでは論外。完全にアウト。

さて、その唯一絶対の証拠たるべき聖書にはこう書いてある。
汝ら静まりて我の神たるを知れ」(詩篇46篇)
まさか知らないとは言わせない。
詩篇46篇と言えば超有名どころだ。
これがどういう意味なのか?バカの頭では永久に理解できない。 
「黙れ!」と言って暴力的に教義を押し付ける。
信者はそれを鵜呑みにする。それがキリスト教の正解だ
白いものでも黒だと言われたら黒になってしまう世界だ
だからこそ調子に乗ってマリアはおセックスしていませんだの
何だの妄想が止まらなくなっているではないか。
私はキリスト教関係の機関紙で
「証拠を求めるとそれは神を知る事にはなっても 
信じる事にはならない。
だから証拠ナシで信じる事にこそ意味がある。それでこそ信仰だ」
と堂々と主張しているのを読んだ事がある。
私の記憶が間違っていなければ「らみい」と称する
いのちのことば社の出す新聞だ。

バカにこの意味が分かるか?
まず、知る事と信じる事が別であると主張している。それはいい。
ならば「信じたまま証拠を求めて更に知ろうとする」
そういう発想は無いのか?
信仰と知は別であるのなら、知を求めても、証拠を求めても、
信仰には影響は無いはずだ。それでこそ「別」だ。
それなのにまるで知と信仰が反比例するかの如く
ヒステリックに頭ごなしの否定をするのはなぜか?
知る事、検証する事はアンチだけに許された特権か?
アホぬかせ。信じているから更に深く知ろうとする。
そんなもの常識じゃないか。 

知と信仰は「別」と称しつつ勝手に反比例する前提で
喋るヤツはバカかウソつきだ。いや、両方か(笑)
バカは自分の矛盾点にすら気付かない。
単に左右両建ての構造が見えていないメクラなだけだ。 
だから私は左右両建てのチームの説明で左目チームの事を
「基督教原理主義」「クリスチャンカルト」と言う。 

「なぜだろう?」「これは何だろう?」と理屈を考えるのは
キリスト教的な発想とは逆だ。
それは知性主義=右目チーム=イルミちゃん=反キリストだ。
左目チーム=キリスト教原理主義は理由・証拠を求めたら終わり。
考えたら終わり。頭をカラッポにするのが正解。バカ御用達仕様だ。
見ないで信じるものは幸いである」(ヨハネ伝20章)の世界。
証拠を求めたら批判される世界だ。鵜呑み・盲信の世界
だから私はムキになって聖書を引用するヤツはカス以下と書いた。
左目チームの分際でノコノコと右目側に出てくる時点で
お前はキリスト教が全く分かっていない。
魚がチーターと競争する時に陸上に上がってどうする?
勝負以前の問題だ。ヨーイドンすら必要ない。上がった時点で終了。 

(参考:マグロが時速80キロで泳ぐというのは都市伝説。
実際には最高時速でも18キロ程度らしい。ただし、マグロさんに
「あなた今全力で泳いでますか?実は余裕あるんですか?」
と聞けないのでガチの最高速かどうかは不明。
ただ、余裕があったとしても80は無理らしい→リンク

では、信者同士ならば「汝ら静まりて我の神たるを知れ」が
通用するから証明も証拠も不要だとしよう。
信者同士なら「むしろ証拠が無いからありがたい」という
カルト思考が許されると仮定する。 

しかし信者以外から証拠を出せと言われたらどうするのが正解か?
証拠を出したら出したでknznymmmyに批判されるのなら
証拠も出せなくなるではないか。一体どうするのが正解か?

バカどもに正解を教えてやろう。答えは簡単。
カミサマにお祈りしなさい
貴様らカスのお祈りごとき、私に通用するとは思えないけどな(笑)
 
・・・それじゃ議論・口論したらボロ負けしそうですけど?
はい、ボロ負けしなさい。
「右の頬を打たれれば左の頬を向けなさい」という
名台詞を知らないのですか?
聖書にこう書いてあるのにムキになって反論を出してくる時点でカス。
しかもその反論が北朝鮮のマンセーマンセーと大同小異な時点で
二重にカス。
だから反論や証拠など出してくる信者はカスの中のカス。
こういう連中は、キリスト教の事が何ひとつ分かっていない。 

とりあえず今回はここまで。
最後はお約束のひと言をオナシャス。
「黒幕はキリスト教徒!」
みかん、いや、未完。