2017年1月4日水曜日

fate grand orderおもろセリフまとめ7

過去記事の続き。今回は小ネタから。
私が育てているキャラの紹介。クレオパトラ。
2017年1月4日現在私が持っている中では最強。
べつに最強とかどうでもいいが、
クレオパトラには注目点がある。
まず、このクレオパトラは、なぜ大蛇に乗って登場するか?
これは簡単。蛇はエジプトで王様の象徴。
ファラオ=クレオパトラと蛇はある意味自然な組み合わせ。

例えば過去記事でも話題に出た。
【ネタバレ注意】まどマギ裏読み入門2参照。
ファラオの冠は蛇を示す。
もしくはツタンカーメンのデコ参照。蛇くんが鎮座する。
というかこのアゴのシャクレまじパネェw
・・・と思ったらあのシャクレはヒゲらしい(参考リンク

「ファラオ 蛇」でぐぐっただけでも大量ヒットする。
参考リンク 
「蛇とファラオの熱~い関係」
古代エジプトでは、蛇の種類であるコブラを
ウラエウスと言い、主権や王権、権力の象徴とし
聖なるものとして扱われてきました。

ウラエウスと言えば、このクレオパトラの宝具(必殺技)が
ウラエウス・アストラペ 暁の時を終える蛇よ、此処に
という技だ。例によってyoutubeに動画があったから紹介。
私はこの蛇が電車みたいに見える事その他の理由から
クレオパトラはあまり好きではない。

ウラエウスはwikiにも出てくる。wiki蛇形記章(リンク
蛇形記章またはウラエウス
(古代ギリシア語: οὐραῖος、uraeus)とは、
コブラが鎌首を持ち上げた様子を様式化したもの。
古代エジプトの主権、王権、神性の象徴。
蛇形記章は女神ウアジェト(=ウジャト)の象徴。

アストラペについて調べるとこんなページ発見(リンク
アストラペはギリシア語で雷云々

一応ぐーぐる翻訳してみた。
はい、アストラペ発見。
というか、ウラエウスもアストラペもギリシア語な所が
注目ポイントでもある。プトレマイオス朝は
アレクサンドロス大王のマケドニア帝国が分裂してできた。
ヘレニストユダヤ、セプチュアギンタ、イシス教、
アレキサンドリア、ポエニ戦争その他注目点は多い。
どうでもいいが、このクレオパトラもアルビノの白人顔。
・・・。ブラックアテナ(ぼそっ

ところで、蛇やエジプトと言えば聖書にも興味深い記述がある。
例えば出エジプト記3〜4章。カミサマがモーセに命令する場面。
エジプトからユダヤ人を救い出せとカミサマが命令をする。
しかしモーセは嫌だ嫌だとゴネる。
ゴネる理由のひとつは「は?お前何様なわけ?」
「てかカミサマってどこの誰だよ?」と
当のユダヤ人からさえフルボッコにされるリスクがあったから。

ここでカミサマは実に興味深い回答をしている。
最初は自ら「私は、あなたの先祖の神、アブラハムの神、
イサクの神、ヤコブの神である」と名乗っていた。
例によって名前を隠すパターンだ。
しかしモーセと問答をする中で
名前を聞かれた時はエーヘイエーアシェルエーヘイエー
答えろとの回答を出した。(3章14節)
私が12の神名の中で一番ホンモノくさいと注目する例の名前だ。

日本語聖書では「私は有って有る者」(口語訳)
「私はある。私はあるという者だ」(新共同訳)
I am that I am. (KJV)
I am who I am. (ABS)
ABSには欄外に注釈として
I am what I am / I will be what I will be とも書いてある。
Je suis celui qui est. (la bible de jerusalem)
ego sum qui sum (biblia sacra vulgata)
みんな大好きヘブライ語版はこちら(リンク

更にこのカミサマは自らがカミサマである証として
「杖を地面に投げろ」と命じた。
モーセが杖を地面に投げるとそれは蛇になった。
後にパロ(ファラオ)と直接対決する時にも(7章)
一番に使ってみせたヤハウェくん、モーセくんの得意技だ。

しかし蛇はエジプトの象徴な件。(上記ウラエウス参照)
その証拠に7章ではファラオの魔術師も
同じ魔術で仕返しをしている。
なぜ、同じ技を使う・・・?同門対決・・・?
再燃するモーセはエジプトの王族疑惑。
(フロイト著「モーセと一神教」)
というか「魔術はけしからんから使ってはいけません」が
キリストの公式見解ではなかったのか?
例の如く「俺の物は俺の物、お前の物も俺の物」の法則か。
結局禁止だ規制だで束縛を受けるのはパンピーだけ。
牧師だの神父だのは独り占めしてやりたい放題。
自分に甘く人に厳しいというキリスト教の法則発動だ。

さらっとねこた先生のツイート紹介
クレオパトラは魔術を使う。それも蛇のやつ。
とローマの歴史家のカッシウスがそう書いてたにゃ。
2016年11月3日

出エジプトは黙示録の最後の審判の原型的なものも出てくるし、
十戒、カミサマの名前、エジプトとキリスト教の関係
その他見どころ沢山だ。

FGOでも「名前」「名付け」については興味深い描写があった。
「第4特異点 死界魔霧都市ロンドン」の中の
「第4節 本の一冊、ペンの一本」で
浮遊する本が敵となって攻撃をしてくる。
こちらの反撃が通用しないという状況での会話。
登場人物はアンデルセン、マシュ、モードレッド、ロマン
そしてナーサリーライム。
ア:どちらかというと発禁本だがな。
  その内容が真なら本であれ人を殺せるという話さ。
(中略)
ア:おまえたちは魔本の性質に触れたな?
  攻撃が通じない、それはそうだ。
  あれを本だと思うからそうなる。
  違うぞ。あれは一種の固有結界だ。
(中略)
マ:はい。世界の在り方そのものを書き換える、
  ある種の魔術の奥義です。魔法にさえ等しいとか。
  ごく稀に、現界を果たしたサーヴァントの宝具として
  用いられる例もありますが・・・。
ア:そうだ。多くは空間に対して働くらしいが、
  こいつは違う。存在そのものが固有結界だ。
  無敵に等しい耐久力はそのためだ。
  自らが固有結界であることを有効に用いている。
  では何故それが可能なのか?
(中略)
  俺の類推するところでは、こいつは本来、
  マスターの精神を映し出すサーヴァントだろう。
  ドラマツルギーから導き出せば簡単だ。
(中略)
  結論というか見たまんまの問題だよ。
  こいつはハグレだ。マスターがいない。
(中略)
  要はマスター探しさ。夢の顕現として、こいつは
  擬似サーヴァントとしての実態を得ようとしている
(中略)
  ご名答!こいつはサーヴァントですらない。
  サーヴァントになりたがっている魔力の塊だ。
(中略)
マ:矛盾しています。Mr.アンデルセン!
  実体が無いから倒せないと今・・・。
ア:だから、さ。名前の無い本だから探せないんだ。
  物語に実体を与える方法なんて簡単だ。
  聞こえるか!お前に名前を付けてやるぞ。
  魔本、いいや、誰かの為の物語(ナーサリーライム)
ナ:・・・!!
(中略)
ナ:・・・ナーサリー・・・ライム・・・。
  いいえ、ちがうわ。それは名前じゃない。
  名前はアリス(あたし)
(中略)
ロ:というか大部分のサーヴァントは元は人間だけどね
(中略)
ア:ああ、人間から英霊になるのが基本だが
  中にはナーサリー=ライムのような例も有る。
  人間に作られた創造物が意思を持ち
  あるいは人々からの幻想を集め"概念英霊"となる場合だな。

なるほど。実にくさいセリフが連発される。
まずは用語解説 ドラマツルギー→ リンク1 リンク2

名無し、マスター無し、実体無しのサーヴァントは倒せない。
そしてマスター探しをしているのはなぜか?
実体化したいから?それは夢の顕現なのか?
「自分を認識したいと思ったから」?
それは何というウパニシャッド哲学ですか?
しかも名前を名乗りだしたと思ったら「あたし」か
言ってる事が"I am who I am"と名乗るヤハウェと同じな件。
そして人間は被造物ではなく、むしろ創造者という視点。
英霊は元は人間だという視点。
過去記事で書いた「神人合一」や「観測者効果」にもつながる。
もしくはまどマギ風に「魔女は元々魔法少女」
「魔法少女は元々ただの少女」という感じか?
いや、・・・それどころか・・・まさかヤハウェくんも
元はニャンゲンだったりするのだろうか?
だとするとあの間抜けっぷりも多少納得できるのだが。
改めてキュウべえは何者なんだろう・・・?

ノンデザイナーズ・デザインブック第4版
2016年6月発売 robin williams著 マイナビ出版より
いちど名前を言えるようになれば、
あなたはそれを意識し、
支配し、コントロールし、所有するようになるのです。
なるほど。段々エヴァンゲリオンTV版最終話に近づいてきた。

「名付け」とは何か?突き詰めると実に哲学的な命題だ。
名付けとはカオス=世界を切り取る方法である。
世界をどう認識するか、であり、
名付けにより初めて「それ」は存在するようになる。

いや、「それ」は名無しの時だって存在はしていたのでは?
というのは違う。認識されないのなら存在しない。
シュレディンガーの猫乙!

例えば、だ。コレを何と言う?
何も知らない人なら「コレ」が「ドレ」を指すのか
分からない人すらいるのかもしれない。
せいぜい言えるのは「うわ、汚い手。何か腫れてるよ?
まさか病気とかじゃねえだろうな?伝染とかしないよね?」
程度だろう。

これは空手ではありがちな「拳ダコ」である。
巻藁その他を突いて突きや正拳そのものを鍛える過程での
副作用的なもの。
例えば素足でずーっと歩いてれば足裏が角質化したり
固くなったりするのと少し似ている。

ここで「これは拳ダコです」と「名付け」をしてもらう事で
初めて「なんかわかんないもの」が
「拳ダコ」として認識される訳だ。おk?
今まで「関節(複数形)」でしかなかったもののうちの一部が
独立して「拳ダコ」になる。

拳ダコは変色しているからまだわかりやすいかもしれない。
ではこれは?今度こそ赤丸を付けてもらわないと
「ドレ」が「コレ」だか分からないのでは?
これは空手の孤拳。太極拳とかにも出てくる。
勿論名前は違う。太極拳では「釣手」

「ソ連」としか認識されなかった国から「ウクライナ」なり
「ベラルーシ」が独立するのとも似ているか?
「グー」か「パンチ」でしかないものが「正拳」になる。
特定部分をピックアップして、注目して、厳密化して
絞り込んで、限定化して・・・そして名付けた。おk?

カミサマの天地創造も「光あれ」から始まった。
そして、私は光は天地創造以前から存在したのでは?
と書いた。だとすると天地創造とは
あれも「名付け」だったりはしないのだろうか?
観測することにより認識し、存在させる行為。
いや、そんな事を言うのなら創世記2章19節に注目だ。

創世記2章19節
そして主なる神は野のすべての獣と、
空のすべての鳥とを土で造り、人のところへ連れてきて、
彼がそれにどんな名をつけるかを見られた。
人が全て生き物に与える名は、その名となるのであった。 

全生物に名前を付けたのはニャンゲン様だと書いてある。
あれ・・・?
名付けがカオスから世界を切り出す作業なら・・・。
名付けが天地創造なら・・・。
ニャンゲン様こそが天地創造をしちゃったのか?
それならば第1章と第2章で被造物の順番が違うのもわかる。
というかヤハウェくんは指を咥えて見ているだけでいいのか?

いや、ここで、
「カミサマ自らがゲームに参戦して内側から修正」
の視点で考えてみよう。
ニャンゲン様が名付けをしているのは
これこそ「内側から修正」の作業だったりするのだろうか?
創造された天地に管理が必要であるのなら
それを行うのはある意味「内側から修正」そのもの
では、名付けを行っているニンゲン、イコール、カミサマ
だとして、それを「見ていた」と書かれている(2章19節)
ヤハウェくんって・・・。

ヤハウェくんが「名付け」をしている場面=創世記1章は
後から継ぎ足しされただけであり、本来の聖書ではない。
(長谷川三千子「バベルの謎 ヤハウィストの冒険」)
そもそもヤハウェくんはなーんにもしてません疑惑・・・。
あれ?あれ?ヤハウェくんって・・・一体何なのさ?

本日の推薦図書 「名づけ」の精神史 市村弘正著

最後はお約束のひと言をオナシャス
「黒幕はキリスト教徒!」

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