せんせえ、ラテン語の発音ってどうすりゃいいのれすか?
言語の学習は基本的に「読む」「聞く」「話す」「書く」の
4つをバランスよく学ばねばならない。
しかしラテン語のような古典語の場合は違う。
「読む」専門でもそれほど被害は出ない。
例えばラテン語を「聞く」場面は非常に限定的だ。
何しろ今、ネイティブでラテン語しか喋れないという人は
基本的にゼロ。そんな人は大昔に死んでいる。
21世紀の今日、ラテン語が飛び交う場面はカトリック系。
例えばバチカン。若しくはグレゴリオ聖歌。
あとはせいぜい生物学や天文学の学会で
学名にラテン語が単語レベルで出てくるとか?
また、私がラテン語を話しても分かってくれる人は
ほんのひと握り。その意味で話す機会もゼロ。
書く機会ならブログか2ちゃんねるの専門スレ程度か。
だから私は「読む」偏重でいいと考えた。
だから私はこの一連のブログ記事を
「ラテン語ペラペラプロジェクト」と名付けた。
流暢に話すペラペラではない。
私が言ってるペラペラは知識の薄っぺらさを表すペラペラだw
ラテン語なんぞ、聖書なんぞ今更血眼になって勉強してもねえ?
というシニカルな笑いの意味で
発音もリスニングもデタラメでいいや
活用もウロ覚えでいいや
所詮、後発組の「庶民語」じゃん。
そういう意味で薄っぺらい知識でいいという意味で
ペラペラプロジェクトと言っている。
最初にBACADEMIAと書いたのも同じ。
早稲田大学ならぬバカ田大学というようなものだ。
実にいいネーミングではないか。
「私はラテン語ペラペラだからさ(キリッ」と言うと
バカは勝手にどこぞの大学で何か専攻でもしたのか
と勘違いする。
では、改めて。
knznymmmyの、
knznymmmyによる、
knznymmmyのための
ラテン語ペラペラプロジェクト、はじまるよ❤
ラテン語含めて古典語は「正しい」発音がわかりにくい。
例えばヘブライ語の過去記事でも少し書いた。
ヘブライ語の発音が徐々に失伝した結果ニクダーができた。
しかしそのニクダーが絶対に正しいと断言はできない。
「本当にこう読んでもいいんだろうか?」という
暫定的な発音もある。
何しろ古典語の時代はカセットテープもmp3も何もない。
「きっとこれが正しいはずだ」という発音があったとしても
「絶対に正しい」という保証はない。
どこぞの水道工事で石碑の2、3本でも出土したら
「正しい」基準だって変わるかもしれない。
ラテン語の場合は発音に関しては基本的に2系統ある。
ドイツ式とイタリア式。
一般にラテン語のテキスト等で採用されているのはドイツ式。
イタリア式とはカトリック教会が伝統的に使っている発音。
カトリック系の人の書いたラテン語入門書を読むと
イタリア式こそが正しい発音だと主張している事が多い。
しかし、「正しい」とはどういう意味なのか?
例えばローマ帝国も広い。方言だってあったはずだ。
究極、そういう地域的な違いが今日の
フランス語スペイン語その他ラテン系言語の差異につながる。
新約聖書の舞台となったパレスチナ地域で話される方言こそ
聖書の発音としてふさわしいに違いない・*゚(n'∀')η゚*。・!!
と思ったら、残念w パレスチナ地域はギリシア語圏だw
正しいかどうか以前にラテン語なんぞお呼びじゃないw
しかもラテン語の歴史も長い。
イタリア半島の辺境の地の田舎言語だった時代まで考慮するなら
その歴史は紀元前1000年近くまで遡る。
勿論、その紀元前1000年からキリスト時代までの間ですら
ラテン語の発音は変化している。
当然、21世紀の現代までの間だって変化はあったはずだ。
ならばカトリックが「墨守、墨守」と言っているのは
不自然極まりない話だ。
スタート地点が間違っている(パレスチナはギリシア語)のを
胡散臭い「墨守」なんぞして一体何の意味があるのか?
地域的な差異。時間的な変遷。
「いつ」「どこで」「誰が」話したラテン語が「正しい」と言うのか?
だからドイツ式とイタリア式の論争はそもそも無意味だ。
ギリシア語こそが正統なキリスト教の言語だ。
その証拠に初期の教皇含めキリスト教関係者は
全員ギリシア語を使っていた。
そもそも新約聖書だってギリシア語で書かれた。
「教会ラテン語事始め」のp13によると
第4代教皇の聖クレメンス1世(在位AD92年〜AD101年)や
アンティオキアの聖イグナティウス(?年〜AD108年?)
その他多くの初期のカトリック関係者の著作も書簡も
全てギリシア語。
だからカトリック系の人が言う
「ドイツ式は変形してしまった発音」
「カトリック=イタリア式は正しい発音を守り続けてきた」
というのは実にうさんくさい。
「守った、守った」とドヤ顔で言ってる連中の大先輩どもは
全員揃ってギリシア語しか使っていない。
一体、いつ、誰が、何を守ったと言うのか?全く意味不明。
やってもいない手柄を自慢されてもワケワカメ。
結局自分が偉い、自分がスゴイと
根拠ナシの妄想を語っているだけ。
だから私は北朝鮮のマンセー、マンセー、とあまり違わないと言う。
カトリックの人は「こっちの方が朗読しやすい。だから正しい」
と主張する事もある。
だが、「朗読しやすい」のと「正しい」かどうかは別だ。
そもそも「発音しやすさ」は曖昧なものでしかない。
英語の発音で苦労したアホンジンも多いはずだ。
べつにあれは英語を母語とするニャンゲンがドMだから
変な発音をしている訳ではない。
英語を母語とする連中の基準ではアレが発音しやすい。
逆に日本人には簡単でもガイジンには難しい発音もある。
例えば「つ」
「通信」とか「続き」とかキッチリ発音できるガイジンは珍しい。
これは英米系に限らずガイジン全般で珍しい。
日本語を年単位で勉強していないと
「チュウシン」とか「チュジュキ」とか言い出す。
だから「発音しやすい」のも基準としては曖昧すぎる。
それどころか「発音しやすい」のは、
朗読しやすいように途中で加工された証拠ではないのか?
ならば、「ドイツ式は変形した発音だからけしからん」
と主張するのはブーメラン乙でしかない。
イタリア式=カトリック式こそが変形した、けしからん発音だ。
「グレゴリオ聖歌の伝統がある。だから正しい」
「我々は毎週聖歌を歌い、聞いてきた。
1000年以上続くこの伝統を軽視するな」
というのも同様。
グレゴリオ聖歌があるからこそ、だからこそ、
それに適したデフォルメがされている可能性がある。
毎週歌うから、毎週聞くから、
だからこそ変形している可能性がある。
例えば英語やフランス語の学習をしていても
不規則活用の動詞が出てくるのはどういう場合か?
英語はbe動詞だけ異常な活用をするのはなぜなのか?
フランス語のêtreやavoirが異常な活用なのはなぜか?
中国語で「一(数字のイチ)」の発音が特殊ルールなのはなぜか?
日本語の「する」がサ変という特殊活用になっているのはなぜか?
要は「よく使うから 毎日使うから
使いすぎた結果、変形した」のに他ならない。
私はある展示会で仕事熱心な左官のコテが
指の形にへこんでいるのを見た事がある。
ベートーベンが練習に使ったピアノは
鍵盤が磨り減っていると聞いた事もある。
某中国拳法家が(ちなみに松田隆智ではない)
毎日公園で練習をしていたら
型の往復のしすぎで溝ができたと聞いた事もある。
要はよく使うから変形する。ならば・・・。
毎週歌うから、だからこそ変形するに違いない。
しかも聖書の中には祈る場面はあっても
賛美歌を歌う場面は無い。
特にキリストが歌を歌っている場面は無い。
ダビデやパウロその他違う人なら歌も出てくる。
だから私は言う。
「グレゴリオ聖歌がなんぼのもんじゃい!」
「後発組、後付けの分際で伝統、伝統、偉そうな顔をするな!」
ましてそんな根拠で自分たちの正当性を主張するのは論外。
そもそも伝統を軽視し、伝統を破ってきたのは
他ならぬカトリックの信者どもだ。
カトリックは元々ギリシア語を使っていた。
それを勝手にラテン語にすり替えたのはどこの誰だ?
今更「我々の伝統ガー」とかバカすぎる。
また1955年には共通指針がバカチンから出された。
directorium commune
その中に「全ての司祭はラテン語をローマ式に発音すべし」
という一節がある。
これは裏をかえせばドイツ式の発音をする司祭がいたという事。
実際に著者の江澤もそういう司祭を見かけた事があるらしい。
(「教会ラテン語への招き」p49)
1955年と言えば第2バチカン公会議以前。
まだ、カトリックがラテン語を全面的に使用していた時代だ。
それだけラテン語を重要視していてもこのザマだ。
何も平成になってから、ラテン語教育がすっかり廃れた後
ラテン語を我流で独習したら発音がおかしくなりました
というレベルの話ではない。
神聖だの不可侵だの叫び狂っていた時代の話。
しかも司祭サマの話だ。
「けしからん、けしからん」「我らは正統、我らは正統」
と連呼するのは結構。
ならば、まずは自分らが、その「正統な」発音とやらを使え。
自分ではできもしないくせに人の悪口だけは連呼する。
他人に厳しく自分に甘い。実にキリスト教的だ。
それともこういう時こそ
けど個人的資質は関係ありません(キリッ
で逃げ出すつもりか?
だったら1955年の共通指針なんかいらないだろう?
発音がドイツ式だろうがイタリア式だろうが
けど個人的資質は関係ありません(キリッ
これでおk
カトリック内部がグダグダでボロボロでも
けど個人的資質は関係ありません(キリッ
これでおk
プロテスタント対策もラテン語の強制も全部不要。
カトリックが再度分裂しようが
けど個人的資質は関係ありません(キリッ
これでおk
マリアがおセックスしようが
けど個人的資質は関係ありません(キリッ
これでおk
最後はお約束のひと言をオナシャス。
「黒幕はキリスト教徒!」
みかん、いや、未完。
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