いや、RPGとかチマチマレベルを上げるのは苦痛だ。
他に読みたい本、やりたい事はある。
私がfate GOに興味を持った切っ掛けは大帝がうpした画像。
臭いセリフが出てくるので、そのキャラや前後のストーリーを
チェックしてみたいと思った。
しかし動作環境が意外と厳しい。だから困っている。
まず、私のモバイル端末はipod touch第5世代。
これはfate GOの動作環境を満たしていない。
iphone5なら動作環境を満たしているらしい。
私が興味を持ったセリフというのはこれ。
メディアというキャラのセリフらしい。
「一体の人形を間引くだけで、その被害は何倍にもなる。」
「人間の考える神さまってヤツが、世界を作った後に
手を出してこないのはそういう事よ。
「どんなに被害が広がっても、創造主(そとのもの)は
外から見ているしかないの。」
「異常の原因を最小限の被害で済ませるには、
中に入って当事者になるのが最適という事よ。」
キリスト教あたりでは、カミサマはどこか上にいる絶対者。
ニャンゲンとは明らかに別物。造物主と被造物の関係。
隔絶している。超越的。絶対的。
一方東洋、例えば仏教では人間が「成仏」する。
仏と神様は別物のような気もする。
しかし「偉いランキングの1番」という
非常に雑なくくりでは同じものだ。
西洋、特にキリスト教ではニャンゲンは
どこまで頑張っても1番にはなれない。
しかしそれは表向き・顕教での話ではなかろうか。
密教・ウラではまた違うと思う。
密教・ウラとはカバラ、グノーシス、タロット、ホロスコープ
その他の世界。
勿論こういう世界は、一歩間違えればヤツらの
トラップにハマる世界だ。だから要注意な世界ではある。
しかしオモテだってトラップまみれではないか。
いや、オモテそのものが、キリスト教そのものが
丸ごとトラップとも言える。
さて、このウラにおいてはニャンゲン様がカミサマになる。
偉いランキング1番になれる。
ここ「だけ」を強調して仏教との共通性を
やたらと誇張するこうさくいんも若干名いる。
確かにそこ「だけ」見れば仏教的と言えなくもない。
wiki テレマ
セレマ(Thelema)は、「汝の意志することを行え」という
規則や法に基づいた人生の哲学である。
例えばこれなどは「ウラではニャンゲンが神になる。」
の実例ではなかろうか。
「汝の意志することを行え」とは、
範馬勇次郎的、エゴイスト的、ワガママ放題的だ。
しかしこのテレマの語源はコイネー。
主の祈りにも出てくる。ギリシア語の主の祈りはここ等参照。
θέλημά ← これがテレマ
「天にまします我らの父よ(中略)
御心の天になる如く地にもなさせ給え」
この御心こそがテレマ。一般には"will"と訳される。意思。
思う事、考える事が神の御心そのままなら
ワガママ放題のようでも、神の御心に背いてはいないだろう。
結局ワガママな所は変わってないような気もするがw
「不惑」で有名な論語の一節も 70が従心だ。
七十而従心所欲、不踰矩。
七十にして心の欲する所に従って、矩を踰えず。
「行住座臥をえらばず」的。「歩けば則ち武」的。
「大道無門」的。テレマ乙。
何もクロウリー等あやしい系だけの話ではない。
聖書を読んでいても「ニャンゲンが神になる」のを
暗示している可能性のある箇所は無い訳ではない。
例えばガラテヤ2章20節。
もはや我生くるにあらず、キリスト我が内に在りて生くるなり。
自分が生きているのではなく
神が我が内に宿って生きているという事。
我が身を神の宮となして、神を受け入れるという事。
例えば有名な賛美歌にこういうものがある。
救いの恵みを顕に示し卑しきこの身に宿らせ給え
命を与うる主よ留まりて我らの心を常宮となし
朝に夕べに祈りを捧げ称えの歌をば歌わせ給え
我らを新たに造り清めて栄えに栄えを弥増し加え
御国に昇りて御前に伏す日御顔の光を映させ給え
賛美歌352番だ。
私はこういう「我が身を神の宮となす」という考えが
カモワンタロット16番ラメゾンデューに似ているとも思う。
黙示録を見ていても22章に「天使を拝むな」という一節がある。
三位一体なら、天使だってカミサマだろうに。
天使を拝むなという理由は「ただ神のみを拝せ」との事。
それだけならまだしも
「私は、あなたや、あなたの兄弟である預言者たちや、
この書の言葉を守る者たちと、同じ僕仲間である。」
あれ?シモベ仲間だったのか?
あれ?あなた三位一体でカミサマだったのでは?
ちなみにこの「僕=シモベ」。ギリシア語ではドゥロスだ。
意味は奴隷(爆笑)
奴隷になって喜んでるアホウどもがキリスト教徒だ。
そりゃ、飼い主が高潔な人格者だったら
ひょっとしたら奴隷生活もまんざらでもないかもしれない。
しかしヤハウェやイエスに高潔とか
無い物ねだりも大概にしろって話だ(笑)
ギリシア語が分からないデクノボウどものために
私が持っている対訳版聖書の画像を貼っておいてやる。
勿論ネストレ・アーラント準拠。
赤矢印の所。ふぇろーすれいぶ(笑)
天下のぐーぐる先生に翻訳させても「奴隷=どぅろす」と
はっきり答えが返ってくるんだが?
罪を贖われただの、罪を許されただの
そもそも罪が何なのかすら知らないまま
キャッキャ言った結果が奴隷生活への転落だ(笑)
アホウは頭の中がお花畑で毎日幸せそうだな(笑)
アホウは放置しておくとしても
ニャンゲン様の偉いランキングは少なくとも天使クラスらしい。
(奴隷同士だからドングリの背比べだけど・・・笑)
・・・しかし、三位一体なら天使イコール神様・・・
・・・あれ?・・・ニャンゲン、天使、神様が横並び?。
・・・あれ?・・・じゃあニャンゲン=カミサマ?
・・・あれ?天使を拝んだらあかんやで、ならば
カミサマを拝んだらあかんやで?
ここまでは「こうさくいん」の主張通り
神人合一的、成仏的な点で西洋系と仏教が一致してはいる。
しかし神 or 仏になった後が大違いではなかろうか。
例えば般若心経は無について熱弁をふるっている。
一方、西洋系はオモテもウラも無にはいかない。
例えばキリスト教では永遠の命を得て神を賛美しながら
永久に天国でくらす。
タロットでも21番のルモンドで手に持ってるのはエリクサー。
永遠の命が手に入るおクスリだ。